今週のお題「地元自慢」
地元の良さは住んでいると、わからない
住んでいると意外と地元の良さというのは、当たり前になってしまっていて、わからないことが多い。
それを気付かせてくれるのは、地元から出た時だと思う。
今は、地元に住んでいてもわかるようになってきた。
ところが、今は地元から出ていなくても、気付くことが多くなってきた。
最近は、昔は良かったなぁと感じることが増えてきた。
最も、強く感じるのは人情が薄くなってきたなぁということ。
何と言っても人付きあいが、なくなってきた。
例えば、近所だと、人の入れ替わりが増えている。
昔だと、引っ越すことになりましたと、挨拶に来られていたが、今は、なくなった。
そもそも、引っ越してきた時でも、挨拶がないのだから、引っ越す時に挨拶があるはずがない。
そんな人の引っ越しのために家の前がトラックで塞がれていて車が出せないと怒りしか感じないはず。
今ではお隣さんでも引っ越しの挨拶がなくなり知らない間に空き家になっていたとか、新しい人が引っ越してきたというのが当たり前になっている。
こうなると、顔を合わせたとしても、挨拶することもなくなり、お互いが、その辺を歩いている見ず知らずの人と何ら変わりない存在になってしまった。
このため、何かあった時に、挨拶に行かないといけないとは思っても、行きにくい。
挨拶に行かないから、関係が悪くなる。
そんなことから最近では、引っ越し業者が作業中に迷惑をかけそうな家に挨拶に行っているとか。
会社では、社員の家族などに、ご不幸があった場合、案内があれば、通夜や葬儀に参列するのが当たり前だったが、今は、祖父母の場合、同居の場合だと「弔問対象」だが別居の場合だと「対象外」という基準が設けられてしまった。
対象外だと香典も電報さえ送らない。
このような基準が作られると社員も右へ倣えになってしまい、別居の場合だと「対象外」にしてしまう。
それだけではなく、通夜や葬儀に参列することさえ避けるようになり、参列する人を探しては香典を預けるだけという輩が増えている。
混雑が多い
もう一つは「混雑」することが多くなった。
特に車の渋滞が増えてきた。
以前は、朝の6時30分に家を出れば、道を走っている車はほとんどいなかった。
このため、いつもよりかなり早く目的地に着くので、驚いていたものだが今は、日中でも混んでない時と同じくらいの時間でしか到着しなくなった。
朝に関して言うと、乗用車が増えているように感じている。
早朝に乗用車がなぜ増えるだろうか?
おそらく気が短い人が増えたからではないかと考えている。
金沢も、ここ何年かは冬は雪が積もるようになってきたので、酷い渋滞が起こるようになった。
渋滞でイライラするのが嫌で、渋滞を避けるために、早く出勤するようになる。
30分早く出勤することで、30分早く到着するわけではない。
これまで60分用していたとする。
しかし、30分早く出勤することで渋滞待ちがなくなり30分で到着したとすれば、60分早く到着することになる。すると30分は車の運転から解放されることになる。
しかも、早く出れば、イライラしないで済むので精神的ストレスも無くなる。
30分早く着くのだからガソリン代も軽減される。
朝早く会社に到着すれば会社で勉強したり新聞を読んだりすることができる。
良いことづくしだ。
30分早く出るだけで、こんなにも違うのか?と冬以外でも早く出勤するようになる。
そんな人が増えているのではないかと思う。
信号が直ぐに赤になる
もう一つ、夏になると、夜中に暴走運転を行うバイクなどがいた。
暴走バイクや車の音だけでは済まず、パトカーのサイレンまで加わるので夏の夜は騒がしかった。
その対策で信号機を調節して信号待ちなしで直進できないように信号待ちなしで長い距離を走れなくしたのではないだろうか?
その結果、信号待ちが増えるので、移動時間は増えてしまう。
このため、朝早く出ても信号で止められてしまうので、渋滞はなくても信号待ちにより遅延が発生する。
失われた自慢
こうして考えてみると、今は、なくなったと感じられていることが自慢だったことになるのではないだろうか?
つまり、「人情が厚い」「渋滞が少ない」ということが金沢の自慢だったと言える。
自慢が自慢ではなくなっていく現象は、おそらく金沢市だけではなく、日本各地で起きていることだと思う。
今後、自慢が失われていかないように、昔ながらの慣習を見直す必要があるのではないだろうか?