子供は親を選べない?
お金を入れるとカプセルの中に玩具等が入ったものが出てくる「カプセルトイ」、通称「ガチャガチャ」と呼ばれるものがある。
これは、自動販売機とは異なり、自分では欲しいものを選べない。
ガチャガチャは自分で選べないということから、子供は親は選ぶことができないことを「親ガチャ」と比喩した、言葉が最近、使われているとか。
この言葉を初めて聞いた時に、産まれてきたことまで誰かの責任にしたいのか?ということからショックを受けた。
多分、今の自分に満足している人の言葉ではなく、満足していない人の言葉だと思う。
満足していれば、親をカプセルに入れた、ガチャに例えるなんてことはしないはずだ。
この言葉を聞いて最初にイメージしたのは、子供がガチャを回して親が出てくるという構図だった。
これだと現実とは一致していない。
子供がカプセルに入っていて親が回すという構図でないと、おかしい。
子供は親を選べないからといって、親が子供を選んでいると思うのは間違いだ。
親も子供を選べない
親も子供を選べるわけではないのだ。
そして、親が子供の人生を100%決めているわけでもない。
例えば親が同じ兄弟でも、全てが同じ人生を歩むわけではない。
1人は東京大学に合格しても、もう1人は勉強が苦手で高校を卒業して就職するという場合もある。
東京大学に合格したから幸せな人生を歩めるかといえば、高校を卒業して就職した方が社会に出ると覚醒して経済面だけで言えば比較にならないほど裕福になったという場合もあるだろう。
子供は親を選べないと言ってしまうような人は、多分、どんな家庭に生まれたとしても、同じことを言ってるのではないだろうか?
よく言われることだが、真の金持ちというのは、仮に一文なしになったとしても、何度でも復活できる。
逆に、いくらお金があっても失ってしまう人もいる。
これが、親からの遺伝や生まれ育った環境だけだとは言えないはずだ。
むしろ、お金に苦労したから、稼ぐ方法を一生懸命に見つけることができて成功するというパターンというのは少なくないと思う。
お金に不自由したことがないと、大人になって自分の力で稼がないといけなくなった時に、稼ぎ方がわからないとか、職についても基本的な経験が不足しているので役に立たないということになってしまう。
苦労は買ってでもしろ
そう考えると、子供の頃に苦労した方が、社会で必要な知識や経験を早く学んだり取得できることになるので、早く苦労させてくれたことに対して、逆に感謝しないといけないのではないだろうか?
「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉もある。
世の中は、平等なんかではない。
育つ環境が違えば、容姿や生まれ持った能力だって違う。
だからと言って必ずしも育った環境が良くて、容姿も、生まれ持った能力が高くても幸せな人生を送れるとは限らない。
逆にそれらが仇になって犯罪行為で捕まり一生、犯罪者としての経歴を背負っていくことだってある。
大切なのは、目の前の事実を、どう捉えて、考えて行動することだと思う。
チャンスは誰の前にも訪れている。
誰にでもチャンスは訪れていて目の前まで来ているはずだ。
しかし、親ガチャだとか言ってるだけで、チャンスを見ようともしなければ、チャンスは通り過ぎていく。
これも、親を選べないからだというのだろうか?
チャンスは選べるのに選ぶどころか見ようともせずに、親が選べないというのでは、この人は何を言ってるのだろうか?と誰もが思うはずだ。
いやいや、チャンスだと気付いても自分にはチャンスを活かす資金がないんだから見逃すことしかできないんだ。という人がいるかもしれない。
目の前に絶対に一等が当たる宝くじがあったとする。このことは自分だけが見えている。
宝くじは300円で買える。
しかし、今、手元にお金がないから買えないと諦めてしまうのだろうか?
こんなチャンスは無いので、何としても直ぐに300円を集めようとするのではないだろうか?
言い訳や、人のせいにするのは簡単なので、言い訳や人のせいにしてばかり生きてきた人なら300円で手に入るチャンスを失ってしまうはずだ。
他人のチャンスではなく、自分のチャンスを見つけろ
今の自分にしか見えないチャンスというのは、必ず存在していると思う。
それを見ようとしないで、他の人が見つけたチャンスばかり見ているから、いつまでたってもチャンスを手に入れることができないのだ。
人のチャンスなんて、その人だから見つけられたもので、自分には見つけられなかったものかもしれない。
そんなものを見てただ、羨ましいと思っているのであれば、単なる時間の無駄なので、自分だから見つけられるチャンスを探すことに時間をかけるべきだと思う。
自分だけが見つけられるチャンスってなんだよ?と思うかもしれないが、それは、自分にとっては当たり前のことで他人にとっては、えっ?と思うことだ。
例えば絵を描くのが好きで、描いているとする。しかし、自分では下手くそな魅力のない絵にしか見えない。
だから、人に見せたことがない。
実は、多くの人から見ると心が癒される、なんとも言えない味のある絵であるかもしれない。
価値なんて自分が決めるものではなく他人が決めるものだ。
付箋紙は今では当たり前のものだが、最初は偶然できた、よく貼り付くが、直ぐに剥がれてしまうという、それまでの常識では役に立たない接着剤だった。
そこで、役に立たない接着剤だったで、終わっていたら、今、付箋紙は存在しなかったかもしれない。
当たり前こそチャンス
自分では当たり前(失敗)だと思ったことであっても見方を変えると実は凄い発見(チャンス)だったということは、よくあるのではないだろうか?
親ガチャとか言ってないで、今の自分だから見えているチャンスを見逃さないようにしないといけないのではないだろうか?