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もっと早く教えてくれよって思った内容を書いていきたいと思います。

日本国憲法第二十一条「表現の自由」について

国際的な芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が始まって3日で中止となりました。
中止の原因は、慰安婦をイメージした少女像、昭和天皇とみられる肖像が燃やされたような作品が展示されたことで抗議が殺到し中には、京都アニメーションの事件と同じような犯行を予告するような内容もあったことで安全面を考慮して中止となったようです。

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抗議の中には、税金を使ってこのような展示を行って良いのか?というものもありました。
これに対して、大村知事は以下のように話されています。

憲法21条には、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する、検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」と書いてある。
最近の論調として税金でやるならこういうことをやっちゃいけないんだ、自ずと範囲が限られるんだと報道等でもそうことを言っておられるコメンテーターの方がいるが、ちょっと待てよと違和感を覚える。
全く真逆ではないか。
公権力を持ったところであるからこそ、表現の自由は保障されなければならないと思う。
というか、そうじゃないですか?税金でやるからこそ、憲法21条はきっちり守られなければならない。

表現の自由については、何をしてもいいのだろうか?という疑問が、ずっとありました。
しかし、表現の自由が認められているのですから、自分とは異なる内容であっても、それは自由なんだという事で議論を交わすことしか許されていないと考えていました。
ということで、調べてみました。

まずは、表現の自由について書かれている条文を見てみましょう。

日本国憲法 第二十一条

集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

そして、日本国憲法は以下のような構成で書かれています。

上諭
前文
第1章 天皇(第1条〜第8条)
第2章 戦争の放棄(第9条)
第3章 国民の権利及び義務(第10条〜第40条)
第4章 国会(第41条〜第64条)
第5章 内閣(第65条〜第75条)
第6章 司法(第76条〜第82条)
第7章 財政(第83条〜第91条)
第8章 地方自治(第92条〜第95条)
第9章 改正(第96条)
第10章 最高法規(第97条〜第99条)
第11章 補則(第100条〜第103条)

表現の自由」について書かれている第二十一条は「国民の権利及び義務」の章に書かれています。
つまり、表現の自由は「国民の権利と義務」ということになります。

そして、「国民の権利と義務」の章には以下のような条文もあります。
日本国憲法 第十二条

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

日本国憲法 第十三条

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

つまり、国民に保証する権利は必要以上に行使してはいけない。
そして、自由や権利は公共の福祉のために利用する限り保証しますよということですね。

ここで「公共の福祉」という言葉が気になります。
色々調べてみると、「社会全体の共通の利益」というのが意味的にピッタリだと思いました。
しかし、それでは国民の権利は社会全体の共通の利益がないと使えないことになってしまいます。
国民の権利なのに社会全体の利益?それっておかしいですよね。
公共の福祉のために、自分の自由や権利を利用するってどういうことなんでしょうか?

国民それぞれが、権利を主張した場合に権利と権利の衝突が起きるはずです。
衝突の場面においては双方の権利を保障しないといけません。
双方の権利を保障しようとする、権利は一定の制約を受けることになります。
すべての人の権利がバランスよく保障されるように権利の衝突を調整することを憲法では「公共の福祉」と呼んでいます。

簡単に言うと、「他人の権利も保障されるように権利を行使する」ということですね。

そうすると、私たちに「表現の自由」が保障されていても、他人の名誉やプライバシーを侵害してまで表現する自由は認められないということです。
何故なら、「公共の福祉」のために利用する責任があるからです。

そう考えると、大村知事の言われていることは、「公共の福祉」のために利用していると言えるのでしょうか?
展示物の作者の表現の自由だけを尊重し、その展示物に不快感を感じた方の言論の自由は二の次だとなると、公共の福祉に反します。
大村知事が河村市長を訴えた場合、負けるのは大村知事ってことになる可能性もあるということです。