おせっかい
昔は、おせっかいな人というのが、どこでもいたもの。
「おせっかい」とは、出しゃばって世話を焼くこと。不必要に人の事にたちいること。といった意味になる。
着物の帯が緩んでいたり曲がっていたりすると見ず知らずの人なのに治してくれたり、聞いてもいないことを色々と教えてくれる人。
おせっかいの人について、こんな風に書いたら、どう感じただろうか?
自分は、おせっかいな人は不要だと言ってるわけではなく、むしろその逆。
おせっかいな人というのは必要不可欠な存在だと思っているし、むしろ好きだ。
しかし、自分の身の回りでは、そんな人は絶滅したかのような状態。
世の中では、おせっかいな人は、嫌われる場合が多いが、自分は、おせっかいな人がいなくなったことが、今の日本に変わってしまったことに繋がると思っている。
余計なことをしたら?
今は、知らない人に自分の子供が注意されていたら、どう感じるだろうか?
ビックリして、警察に通報するって人もいるかもしれない。
昔は、誰の子であっても悪いことをしたら大人が叱るというのが当たり前だった。
しかし、今は、子供のためを思ってというよりも自分の感情に任せて怒るという人が多いので、確かに警察に電話したくなるような場合もあると思う。
親切がおせっかい
おせっかいな人にすると、周囲からどう思われているかは別として良かれと思ってやっていることであるのは間違いない。
今は、電車やバスで席を譲ろうとしただけでも「年寄りじゃない!」といった感じで怒られることが少なくない時代だ。
高齢者の人に席を譲ることは「親切」であって「おせっかい」などではない。
逆に席をゆずらなければ、今度は、なぜ?と思う人もいるだろう。
いったい、どうすればいいんだ?ということになる。
どうせ、悪く取られるのであれば、席をゆずることなんてやめてしまおう。
となるのは、自然なことだと思う。
親切にされたら、嬉しいものじゃないのか?
仮に自分では老人ではないと思っていても、席を譲ろうとしてくれた気持ちに「ありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えるのが普通だと思う。
それを年寄りじゃないと叱るというのは、何事だ?恩を仇で返すとは、このことではないだろうか?
おせっかいな人から無関心な人へ
こうして、日本から「おせっかいな人」が減っていき「無関心な人」が増えていった。
それは、自分のことしか考えない人が増えていくことにも繋がったはず。
結果的に、こういう大人を見て子供は育つので、大人になった時には同じような大人になってしまう。
今の日本人は負のスパイラル状態で大きく変わってしまった。
国=国民なので、国も大きく変わってしまった。
元に戻すためには、今の日本人になってしまった過程を逆に戻っていき、一つずつ戻すしか方法はない。
まずは、おせっかいな人が戻ってくるまで時代を戻す必要がある。
しかし技術レベルは元に戻しても意味はない。
差がついてしまった技術レベルは簡単には追いつけるものではない。
地道に努力していくしかない。
古き良き日本が戻ってくるのは遠い先になりそうだ。