無人島に持って行く1冊
無人島に1冊だけ持って行きたい本は何?と尋ねると、司馬遼太郎の本は必ずベスト10に1冊はランクインすることだろう。
では、その司馬遼太郎が無人島に1冊だけ持って行きたい本は何だろうか?
答えは「歎異抄」らしい。
浄土真宗の開祖である親鸞の晩年の弟子である「唯円」が師の教えを聞き書きしたのが歎異抄になる。
歎異抄というタイトルには「間違った教えがはびこったことへの嘆きの書」という意味がある。
なぜ、歎異抄なのか?
司馬遼太郎が歎異抄を買って読んだ理由は「死んだらどうなるかが、人に聞いても、わからなかったから」だとか。
仕方がないので本屋に行って、親鸞聖人の話を弟子がまとめた「歎異抄」を買った。
歎異抄は、非常にわかりやすい文章で、書かれていて読んでみると真実の匂いがしたので、兵隊となってからは肌身離さず持っていて、暇さえあれば読んでいたとか。
【出典】司馬遼太郎全講演〈第1巻〉
戦車兵 司馬遼太郎
司馬遼太郎は、戦車兵として配属された。
銃剣で人を刺す訓練は嫌いで、いつも嫌そうな顔をしていた。
初年兵教育を終え、初級将校を目指す甲種幹部候補生試験に合格。
翌年春に戦車部隊の指揮官教育を受けるため、旧満州の四平陸軍戦車学校に入校した。
しかし、戦車の操縦技術も、同期の中でも、とびきり下手だった。
8カ月の訓練を経て部隊に配属されたが、実践を経験することなく終戦を迎えた。
【出典】【戦後70年】戦友が見た「戦車兵・司馬遼太郎」 苦難の中でも冗談や笑み「軍人らしくなかった」(1/3ページ) - 産経ニュース
兵隊になれば、全ては、お国のため。
命の保証はない。
怖かったと思う。
だから、死んだらどうなるか?が気になって仕方なかったのだろう。
歎異抄とは?
では、歎異抄には何が書かれていたのだろうか?
書いたのは親鸞聖人晩年の頃の直弟子の一人で、名前は「唯円(ゆいえん)」だと言われている。
「歎」は歎かわしい。
「異」は真実とは異なること。
「抄」は少しばかり書き記す。
親鸞聖人が滅後に浄土真宗教団内で湧き上がった親鸞の言葉とは異なることがはびこり、歎かわしいと感じた唯円が親鸞聖人の真実の言葉を書き記したのが歎異抄となる。
では、親鸞聖人はどのような教えを説いていたのだろうか?
聖人は聖徳太子ゆかりの六角堂にて100日間の参籠をはじめ、迷いを超える救いの道をたずねようとした。 95日目の夜明けごろ、夢の中で聖徳太子に導かれ法然上人の元を尋ねる決心をした。
法然上人は誰に対しても平等に「ただ、念仏もうしなさい。」と説いていた。
親鸞聖人は、この教えこそ、いつの時代であっても、どんな人にでも開かれている、真の仏道であるとうなづき、法然上人を生涯の師、「よきひと」と仰ぎ念仏者として歩み始めた。
親鸞聖人の教行信証
顕浄土真実教行証文類(教行信証)は親鸞聖人本人が出会われた念仏の教えを明らかにしたものになる。
以下の内容で構成されており、文字の読めない人でも音で伝えられるようにということで、全ての漢字には「仮名」が振られている。
- 教の巻
- 行の巻
- 信の巻
- 証の巻
- 真仏土の巻
- 化身土の巻
教行信証より歎異抄
しかし、そのような親鸞聖人自身の著作よりも、「歎異抄」を選ぶ人が多いのはなぜだろうか?
哲学者の西田幾多郎氏も、「臨在録」と「歎異抄」さえあれば生きていけると周囲に語っていたそうだし、他にも吉本隆明、遠藤周作、梅原猛といった作家の方達からも好まれているようだ。
無人島に行ってまで専門書を読みたいとは思わない。
しかし、一回読んで満足できる内容の本なら、これまた、持って行きたいとは思わない。
何回も読みたくなる本を持っていくだろうから歎異抄は、読みやすいだけではなく、何か困った時にヒントや気づきを与えてくれる内容だからたくさんの人を惹きつけるのだと思う。
教行信証を読めてしまうような人だと逆に歎異抄では物足りないので、教行信証を選ぶのではないだろうか?
教行信証も、歎異抄、どちらも素晴らしい本であるのは間違いない。