βマックス vs VHSのビデオ戦争
家庭用のビデオデッキが全盛の頃、SONYのβマックスとビクターのVHS、2つの選択肢があった。
βマックスはカセットが小さくて高画質、VHSはカセットが一回り大きくてβマックスよりは画質は劣っていた。
ここだけで判断すると、多くの人はVHSよりもβマックスを選ぶはず。
しかし、結果はVHSの圧勝で日本でのビデオデッキと言えば、VHSが標準とされるまでになった。
大きくて画質が劣るVHS、小さくて画質が優れているβマックスに圧勝できたのだろうか?
βマックスが負けた理由
それは録画時間の差だった。
βマックスはビデオカセットを小さくして録画時間を1時間に決めた。
理由は当時のテレビ番組が1時間以上というのがあまりなかったから。
ビクターはビデオカセットを大きくしても録画時間を2時間にするというコンセプトで開発された。
ソニーは自分の見たい時間に見れる「タイムシフト」を重視していたので主流の番組時間を基準に録画時間を決めた。
しかし、ビクターは1時間以上の番組、つまり映画といった2時間番組の録画できるように録画時間を2時間に設定した。
これがβマックスとVHSの明暗を分けた。
多少カセットが大きくて画質が劣っても、見たい番組が録画できないと意味がない。
このため、多くの人が映画が1本のビデオカセットで録画できないβマックスではなく、1本で録画できるVHSを選ぶ結果となった。
モトローラ vs インテルのCPU戦争
パソコンのCPUといえば、Intel。
最近は、AMDのRAIZENの方が低価格高性能ということでIntel王国の牙城が崩れてきた感はあるが、それでもIntel製のCPUを選ぶ人が多い。
今は64bit CPUが当たり前になっているが、1970年代は、8bit CPUの時代。
中でも、Intelの8080は汎用プロセッサーを目指して作られたもの。
そして8080の完全互換CPUであるZilogのZ80が一世を風靡した。
そして、モトローラが、シンプルかつ高機能のCPU、6800を開発した。
使いやすいコマンドセット、周辺機器との連携がしやすくてCPUとしては8080よりも優れていた。
そんなことから組み込み系の製品や、工業用製品では6800が採用されることが多かった。
しかし、Intelの8080はパーソナルコンピュータに採用された。
Windows95がハードウェアの壁を取り除いた
パソコンのOSといえば今はWindowsだが、1970年代は、デジタルリサーチ社のCP/Mがソフト開発環境の主流となった。
Intelの8080はCP/Mで採用されたことで、ソフト開発といえば、8080系CPUが使われることが増えていった。
8080の完全互換CPUであるZ80が登場したことで8080系のソフト開発が主流になり、パソコンでもIntel系のCPUが採用された。
ビデオデッキも、CPUも性能の良いものが勝てず、性能の劣るものに負けている。
それは、ソフトウェアを重視した戦略に優れていたメーカーが優れていたということになる。
ビデオでは、テープが大きくなっても、画質が多少悪くても、ドラマだけではなく映画まで録画できる録画時間の長い物が選ばれた。
CPUでは、ソフト開発で明らかに優位だったモトローラーよりも、当時主流だった、CP/MというOSが対応していたIntel系のCPUが選ばれた。
OSでいうとAppleのMAC OS の方が考え方がしっかりして動作も安定していたが高価だった。
日本ではNECのPC-9801シリーズが圧倒的王者的存在のパソコンだった。
しかし、IBM PC互換機(通称DOS/機)が登場しPC-9801シリーズの半額以下で購入できるようになった。
正直、それだけでは、まだPC-9801シリーズの牙城を崩すには至らなかったが、MicrosoftがWindows95 というOSを開発し、パソコンの専門知識がない人でもマウスで操作できるようにすると共に、ハードウェアの壁を取り払ってしまったことで、一気にPC-9801シリーズの牙城は崩れた。
Windows95は不具合も多く動作も不安定だったが、ハードウェアの壁を取り除き、パソコン操作を簡単にしたことで、パソコンの世界標準OSのような存在になった。
世の中というのは性能や品質がよくても使っている人が少なければ売れない。
売れるものというのは「多くの人が使う」ものになる。
このため、性能や品質よりも「需要のあるもの」を作らなければ売れないことを、これまでにビデオデッキ、CPU、パソコンといったものが証明している。
特にWindows95 というのは画期的なOSだったと思う。
Windows 95はインターネットと共にノーベル賞に値する画期的な発明だと思う。