美徳の日本人はどこへ?
世界一安全な国、おもてなし、礼儀正しい、綺麗好き、勤勉、謙虚、協調性に優れている・・・といった感じで、日本人が美徳とすることが、そのまま外国人から見た日本人の印象だった。
しかし、今はどうだろうか?
毎日のように盗難の被害が起きていて、人の事より自分の事、挨拶不要論が出てきたり、道に平気でゴミを捨てたり、まじめに勉強するなんで意味がない、謙虚ってどういう意味?、集団より個人が大事といった真逆の考え方をする人が増えてきている。
仁義礼智信
美徳のベースには「道徳」がある。
道徳というのは、個人が社会で共に生きていく中で、自分自身の内面から善悪を判断し、適切な行動を取るための指針となるもの。
日本の伝統的な道徳観として「仁義礼智信(じんぎれいちしん)」という言葉がある。
これは、儒教の徳目である五常(ごじょう)に由来し、人間として守るべき五つの基本的な徳(美徳)を示している。
それぞれの意味は以下の通り。
- 仁(じん): 慈悲や愛、他者への思いやりを意味する。人と人との間にあるべき情愛や優しさを指す。
- 義(ぎ): 正義や義務感を意味し、道徳的に正しい行動を取ることを指す。社会的なルールや倫理を守ることも含まれる。
- 礼(れい): 礼儀や礼節を意味し、他者に対する敬意や尊重を示す行動を指す。社会的な儀礼や習慣に従うことも含まれる。
- 智(ち): 知恵や知識、洞察力を意味し、物事を正しく理解し判断する能力を指す。知識を活用して賢明な行動を取ることも含まれる。
- 信(しん): 誠実さや信用を意味し、約束を守り、信頼関係を築くことを指す。言動が一致していることや、他者から信頼されることも含まれる。
「仁義礼智信」は、儒教の教えに基づいており、人間関係や社会の秩序を保つために重要とされる徳目。
これらの徳目は、日本の伝統的な価値観や道徳観にも大きな影響を与えていたが、今は、仁義礼智信に基づき、考え、行動していると思える人が少なくなった。
仁義礼智信の根本は、個より多の考え方なので、個を重視する人にとっては理解できない考え方だと思う。
なぜ、多より個になったのか?
なぜ、日本人は多を重視しなくなったのだろうか?
現在では悪とされる「年功序列」が排除されるようになり、終身雇用という考え方も失われることになった。
リストラにはじまり、早期退職者制度・・・
会社から、終身雇用なんて期待するなよって宣言されたようなものだ。
そんな宣言をされた社員はどう感じるだろうか?
会社のために尽くしても、歳を取れば見捨てられるんだ、会社のために働いても報われない、そんな風に考えるのが当然だ。
すると仕事中心の人生なんて意味がない、一度だけの人生なんだから仕事は二の次で私生活を中心とした人生を過ごした方が賢いということになる。
人生一度きりなんだから仕事中心の生活なんて意味がない。
そんな考え方に変わる人が増えていくのは自然なこと。
更には他人のことを考えても意味がないんじゃないか?
一生懸命、頑張ってきてもリストラされたり、会社の主力から外れてしまうと、これまで黙っていても向こうから寄って来てくれたのに、今はこちらか寄って行っても迷惑そうな感じになってしまう。
所詮は、それだけの関係だったことに気付くと人に対する接し方も変わってしまう。
人間なんて損得でしか人間関係を築こうとしない。悪く言えば利用価値がない者と関わっても面倒なことにしかならない。
世の中は、そんな奴らばっかりだと思い込んでしまう。
日本は終わった
その結果、そんな人達と関わりを持ちたいとは思えなくなる。
徐々に周囲の人間と疎遠になっていく。
極端な場合だと自分は悠々自適に1人で生きていくんだ。
結婚して家のローンや子供の教育費に苦労するくらいなら、結婚しないで1人で自由に生きていく方が楽だ。
そんな風に考える人もいるだろう。
その結果、今の少子化に繋がったのだと思う。
年功序列を捨てたことで日本は終わってしまった。