プレッシャー
2022年 サッカーワールドカップの日本対コスタリカ戦は、0対1で日本は負けてしまった。
その前の試合では、日本は強豪ドイツを相手になんと2対1で勝利しているので残り試合で1勝すれば予選リーグ通過が確定するはずだった。
今日の相手、コスタリカはFIFAランキングでは日本より格下。
そのコスタリカは前の試合でスペインを相手に0対7の大差で負けている。
いくら強豪のスペインだとは言っても、7点も取られている。
仮に日本がスペインと戦ったとしても7点も取られることはないだろう。
何よりあのドイツにも勝った日本なので、コスタリカに負けるはずはない。
そんなこともあって、コスタリカ国内でも日本が勝つだろういう人がいるほどだった。
これで、日本の勝利を確信しない人が、いるだろうか?
なぜ?
日本はなぜ、負けたのだろうか?
ドイツ戦は負けて当たり前という中での戦いだったので、プレッシャーは少なかったと思う。
しかし、コスタリカ戦は勝って当たり前、逆に負けるなんてことは、前回、日本と戦った時のドイツ国民よりも考えていなかったはず。
しかし、唯一、考えていたのは誰でもない日本代表選手。
更には、この試合に勝てば予選通過がほぼ間違いないという状態で、更には勝って当たり前という状況が重なっての日本国民が期待する中での戦いだったので選手のプレッシャーは相当なものだったのではないかと思う。
試合を見ていても、日本代表はドイツ戦の時とはまるで違って動きが硬かった。
更に気持ち的にも消極的で、ボールを持っても直ぐに後ろへ戻すシーンが目立ち、ゴールを目指そうという姿勢が感じられなかった。
こういう時の日本代表は良い結果に繋がることがない。
後半35分、コスタリカに1点を取られた時、吉田が日本ゴール前から不用意に守田へ戻そうとしたボールを守田が上手くトラップできずにコスタリカにボールを奪われてしまったのも、とりあえず後ろに戻しておけば大丈夫だという安易な考えが招いたものだと思う。
後半も残り10分を切っての失点だったので、選手もかなり焦った事だろう。
プレッシャーから焦りに変わりプレイが荒くなった。
コスタリカ戦は、日本代表の精神面の弱さが際立った試合になった。
プレッシャーとは
プレッシャーというのは外部から受ける精神的な重圧とされている。
今回の場合だと、勝てないと思われていたドイツ戦で勝ったことで日本だけでなく世界のマスコミや日本国民に注目されることになった。
これが、日本代表の重圧になったのは間違いないと思う。
更に次の対戦が格下のコスタリカ、しかもスペイン戦では大敗を喫している相手なので勝って当たり前だという気持ちが更に強まってしまった。
勝って当たり前というのは想像以上に当事者にとってはプレッシャーを感じるものだと思う。
考えてみればドイツ代表も同じ気持ちだったのかもしれない。
通常、潜在的な報酬が大きいほど、パフォーマンスが向上する。
しかし潜在的な報酬が高くなりすぎると、逆にパフォーマンスが低下してしまうという報告がある。
また、プレッシャーは、理想と現実を比較することによって感じるものなので、理想と現実のギャップが小さい人ほど、プレッシャーを感じにくいことになる。
自分の本来の実力よりも考えている実力の方が高いと考えている人の方がプレッシャーに強いという実験結果が報告されている。
普段の練習を信用している人、これまで自分がやってきたことに対して自信を持っている人は、プレッシャーに強いことになる。
つまり、自信のある人ほど、プレッシャーに強い。
だからといって、自信のあるフリをしても意味がないので、自信を裏付けるだけの練習を日々行ない、レベルの高い人やチームと試合をして自分のレベルを把握し、足りない部分を補うための練習を行うといった努力が大切になるのだろう。
そして、プレッシャーは、理想と現実を比較した結果、生じるものなので、理想を現実にするためには必要なものだと理解すること。
プレッシャーを無理に跳ね返そうとするのではなく、人が生きるためには水や空気が必要なようにプレッシャーも必要なものだと考えることが重要。
とはいっても、なかなか、理屈通りには、できないものなので、プレッシャーと付き合う練習を繰り返すというのが一番なのかもしれない。