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もっと早く教えてくれよって思った内容を書いていきたいと思います。

小京都と言われると悲しくなる

京都と金沢

京都と金沢は似ているところがあるので、よく京都と比較されるところがある。

色々と似ているといわれるものはあるが、京都の「東山」と金沢の「ひがし茶屋街」が代表的な象徴ではないだろうか?

下の写真は東山とひがし茶屋街の写真を並べたものになるが、どちらが東山なのか?ひがし茶屋街なのか?と問われると答えられない人は多いのではないだろうか?

答えは、左が東山、右がひがし茶屋街になる。

下の写真も京都と金沢で、それぞれ、観光スポットになるような坂になるが、どちらが京都でどちらが金沢かわかるだろうか?

答えは、左が京都の産寧坂で、右が金沢の暗がり坂になる。

金沢は小京都と呼ばれる資格がない

そんなことから、金沢のことをよく、小京都と呼ぶ人がいるが、金沢は小京都と呼ばれる資格を持っていない。

小京都を名乗るためには、全国京都会議に参加する必要があって、参加するには3つの基準をクリアする必要がある。

この件に関しては以下で記載しているので参照願えればと思う。

  1. 京都に似た自然景観、町並み、たたずまいがある 
  2. 京都と歴史的なつながりがある
  3. 伝統的な産業、芸能がある

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そして、金沢は2008年に全国京都会議から脱会しているので、小京都と呼ばれる資格を有していないことになる。

脱会の理由として表向きにはオブラートに包んだような理由を並べていると思うが、

  • 金沢は金沢であって京都ではない

そういう意思表示だと思う。

京都は日本を象徴する場所

京都は「都(みやこ)」だった場所であり、世界遺産も多数ある歴史ある都市になる。

日本の都市と言えば首都である「東京」か「京都」と答える外国人が多いのではないだろうか?

京都には世界遺産も多数ある。

清水寺平等院鹿苑寺(金閣寺)、醍醐寺・・・

歴史、知名度、文化すべてにおいて京都に敵うところはないかもしれない。

特に食に関しては、長い歴史により築き上げられた「京料理」には太刀打ちできるものではない。

京料理の歴史

京料理は、平安時代の公家社会、特に貴族の社交儀礼の中で発達した宴会料理である、「大饗料理(だいきょうりょうり)」が原点だと思う。

定められた切り方、寸法、盛り合わせを重視した調理法を基本とし、素材の味そのままに酢・塩・醬などの調味料で各自味付けという「基本」が確立された。

その後、殺生が禁止された寺院社会により「精進料理」が発達したことで「肉」の代わりとして「大豆」が重宝されたことで調理方法や加工方法が極められた。

礼法が重んじられる時代になり、武家がお客をもてなすための料理「本膳料理」が発達し舌だけではなく目で味合うことも重要視され、食器などにも気が配られ、「見た目」が重要視されるようになった。

町人や武家たちの間で、わび茶の様式や思想の影響を受けて発達した「懐石料理」では、「おもてなし」の気持ちを見た目だけではなく、精神面でも重要視されるようになった。

一汁三菜が確立されたのもこの頃になる。

公家や朝廷、幕府で働く人たちが御所風料理を楽しむために発達したのが「有職料理(ゆうそくりょうり)」で、天皇が食する食事だということで高級食材が求められたが、海鮮素材が乏しい京都では野菜が重視され多種多様な「京野菜」が作られるようになった。

しかし、江戸時代になって、公家であっても裕福ではなくなり、食糧事情は逼迫したものとなり、倹約が必要となった。

公家の体面を保つには、ある程度の見栄えが必要で、出汁を有効利用し、少ない素材でも味が引き立ち、美しく見えるような調理方法を編みだした。

これが「京料理」になる。

 

素材の味を大切にし、大豆と京野菜が使われ、出汁により素材の味をより更に際立たせて、見た目が美しく、おもてなしの心がこもった料理これが京料理なのだと思う。

長い年月をかけて発達してきた京料理は完成されることなく、今も進化を続けている。

そんな京料理は一つの日本料理のトップブランドだと思う。

そのため「京風」という言葉を使う料理が目立つようになっているのだと思う。

「京風自家製麵」「京風うどん」「京風スパゲティ」「京風お好み焼き」「京風ラーメン」「京風ピザ」「京風ハンバーグ」「京風ハンバーガー」「京風懐石料理」と何でも「京風」が付いている感がある。

「京風」というのは、おそらく本来「京料理」ではないものに対して、京料理を感じさせる工夫を施したものだと思う。

そして、京風で作られた料理全般が「京風料理」ということになるのだろう。

金沢は京都ではない

そんな歴史のある京都に似ているから小京都だと言われることは光栄だと思う。

しかし、金沢は京都に似ている面はあるが、京都ではない。

京都は中心部から海まで遠いので海の幸を料理に使うことが難しいが、金沢は海が近いので海鮮料理が発達している。

京都が京料理なら、金沢は加賀料理になる。

京料理に出汁はかかせないものになるが、加賀料理ではそのような基準はない。

このように京都と金沢は似ていない面もある。

平清盛

もしも、自分が、京都の武将である、平清盛(たいらのきよもり)に顔の一部が似ているからと、小平清盛と言われても、平清盛のことを凄い人だと思ってはいても、憧れているわけではないので困ってしまう。

金沢も同じで京都のことを凄いとは思ってはいても、憧れではないので、小京都と呼ばれるより、金沢という名前で呼んでもらえた方が、うれしい。

自分の名前でイメージしてもらえると、小平清盛と呼ばれるよりも、自分の名前を呼んでもらえた方が、どれだけうれしいか?ということが想像してもらえるのではないかと思う。

それなのに、わざわざ、小平清盛と呼ばれるために、3つの基準を満足しているか確認して全国平清盛会議に参加する必要性があると思うだろうか?

本当の名前で呼んで欲しいのに、小平清盛と呼ばれれば、悲しくなる気持ちを察してもらえるのではないだろうか?