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もっと早く教えてくれよって思った内容を書いていきたいと思います。

久しぶりの演歌

朝、起きてテレビをつけると・・・

月曜日の朝4時だったことから、民間放送はどこも放送機器の整備・点検のため番組放送はなく試験電波のみが流されていた。

このため、NHKに変えると日本国旗が映し出され「君が代」が流れていた。

あれ?NHKも放送を終了して試験電波を流すのだろうか?と思っていつつ、喉が乾いたので、コーヒーを入れにリビングからキッチンに向かった。

コーヒーを入れて戻ってくると、ピタゴラスイッチミニが放送されていた。

ピタゴラスイッチは、色んな工夫が施されたドミノ倒しをはじめとして頭を刺激してくれる幼児向けの子供番組だが大人が見ても楽しめる。通常は10分番組だが、「ミニ」は半分の5分番組になる。

ピタゴラスイッチ「ミニ」が終わって次の番組は?

ふたりのビッグショー

1994年放送された「ふたりのビッグショー」が放送されていた。

出演は「都はるみ」さんと「テレサ・テン」さん。

二人がトークを交えながら数々の名曲を唄っていた。

都はるみさん

都はるみ」さんは日本を代表する演歌歌手だった方で、「アンコ椿は恋の花」がミリオンセラーとなり「はるみ節」と言われた「こぶし」で多くの人を魅了した。

「こぶし」というのは、楽譜には表記されない微妙な「節回し」の歌い方のことを指すようだ。

テレサ・テンさん

テレサ・テン」さんは台湾を代表する歌手で、「アジアの歌姫」と言われた歌手だった。日本での曲だと「つぐない」が売上枚数が最も多く、今でもカラオケで唄う方が多いように思う。

放送されていた当時、都はるみさんが、46歳、テレサ・テンさんが41歳ではあったが、随分、若く感じた。

最近「演歌」を聴く機会というのがなくなっていたので、久々に聞いた「都はるみ」さんの「演歌」に聴き入ってしまった。

最近、「聴く」ことはあっても、「聴き入ってしまう」ことがなかったので「都はるみさんの」唄は凄く新鮮だった。

テレサ・テン」さんは、日本語の曲よりも、中国語で唄った曲の方が透き通った歌声で、こちらも、さすが「アジアの歌姫」だと聞き入ってしまう。

あなたと共に生きていく

番組内で、テレサ・テンさんは「時の流れに身をまかせ」を唄っていたが、個人的には「つぐない」より、この曲の方に耳を傾けてしまう。

「あなたと共に生きていく」はZARDの「坂井泉水」さんが詞を提供し、テレサ・テンさんにとっては最後のレコーディング曲となる。

2005年に発表したZARDのオリジナルアルバム「君とのDistance」ではセルフカバーとして収録されている。

この曲は、花嫁の心情が綴られた花嫁目線の詞だと思う。

もっと結婚式で唄われても良い曲のはずだが、自分が出席した結婚式で聞いたことはない。

演歌とは?

演歌とは、明治時代の「自由民権運動」において政府批判を歌に託した演説歌の略だということを初めて知った。

自由民権運動とは、天皇を中心として官僚が実権を持って国を支配しようとしていたころに官僚ではなく、国民が国を支える仕組みにしないといけないということから、国会の開設、国民の政治参加、憲法の制定、国民の 憲法の制定、国民の権利を定めることなどを主張した政治運動になる。

そんな運動の中で、大学生が社会や政治を批判する内容を歌にしたのが「演歌」になる。それが変化していき、社会・政治批判から庶民の心情を歌にするようになっていくと演説歌から流行歌に変わっていった。

昭和に入ると、外資系レコード産業が日本にも参入してきたことで洋楽系の歌が増えて「レコード歌謡」が誕生した。

更に第二次世界大戦の敗戦により戦前から続いていた文化は封建的だとみなされ、レコード歌謡が主流になっていった。

ラジオが全国に普及していくと、地方を舞台とした楽曲が増えていった。

演歌が艶歌へ

1960年代に入ると、「流し」と呼ばれたギターなどの楽器を持って酒場を回り歌ったり伴奏したりする人が増えていった。

「流し」の人達が歌ったジャンルは「艶歌」と呼ばれるようになった。

世間では社会、政治批判を歌った「演説歌」が芸能化して「艶歌」となったことに批判的だった。

しかし、小説家の五木寛之氏が1941年に「艶歌」という小説を発表して、「演歌」は知識階級の人達が社会に出している声であり、「艶歌」は庶民の声に出せない怨念悲傷が歌になったものだということを語った。

これがキッカケで、レコード歌謡でも艶歌が歌われるようになっていき、藤圭子さんの楽曲が大ヒットしたことで、「演歌」というジャンルが確立されたと言われている。

この小説は、演歌のヒットに心血を注ぐ音楽ディレクターを描いたもので、とても、読みやすいので一気に読み終えてしまう。

読みやすいというのは、「余計なことを書かない」「余計なことを余計だと思わせないように書く」この2つが揃って成立することだと思う。

それを五木寛之氏の小説を読むと実感させられる。

五木寛之氏は、庶民の口に出せない怨念非傷を艶なる詩曲に転じて歌うのが艶歌だと言っている。

また、藤圭子さんの歌は、「艶歌」「援歌」でもなく、正真正銘の「艶歌」だとも言っている。

そうすると「艶歌」「援歌」「怨歌」を含めたものを総称したのが「演歌」なのではないだろうか?

そして、心の叫びを歌にした楽曲が演歌だと思う。

演歌は日本の心

演歌は「日本の心」だと言われているが「自由民権運動」が行われていた頃の「演説歌」がベースになっていることは間違いない。

時代と共に、「社会・政治批判」から色々な心情が歌にされていき、今の「演歌」になったのだと思う。

時代を表現する歌が演歌だとすれば「不安定な時代」だと言われている「今」を表現する「演歌」を是非、聴いてみたい。