他愛もない話について
- 気楽に書きますので、気楽に読んでください。
- あまり役に立たない内容になるかと思います。
- 特に何かを決めて書いているわけではなく、書いている内に、横道にそれたりするかもしれないので、最後はどんな話になっているのかわかりません。
- 僕の主観や記憶に依存する内容が多くなるので、間違っている内容もあると思います。(書いている内容について基本、裏付けを取ったりしません)
日本で初めての緊急事態宣言
新型コロナウイルスは2022年2月に1日の感染者数が、約9.7万人を超え、2022年4月7日時点では約5.5万人という状態。
2年前の2020年4月7日、同じ日には、1日の感染者数が368人になったということから7都道府県(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、大阪府、兵庫県、福岡県)に対して緊急事態宣言が発令された。
2020年4月16日は緊急事態宣言は全国に拡大している。
緊急事態宣言下では、街から人の姿が消えた。
金沢市も同じで、その時のことを「息づかいは消えない」ということで記事を書いていたことを思い出す。
2020年4月7日に緊急事態宣言が発令されたあと、外に出ても人がいない状態に強い違和感を感じた。
それは「異常」としか言いようがなく、二度と同じ状態にしてはいけないと強く感じた。
それから2年が経って、新型コロナウイルスの1日の感染者は5万人を超えていて、それが通常の状態になっている。
2年前は、まさか、こんなことになるなんて考えてもいなかった。
これまでのウイルス感染のように1年後には漠然と終息しているものだと思っていた。
2年で1日の感染者数は約150倍。
石川県だけでも2年前の日本全体の感染者数と同じ人数が毎日「普通」に感染している。
沖縄県だけは変わらない
沖縄県は新規感染者数が連日、1000人を超えているということから「新型コロナ感染の第7波」に突入したということだ。
沖縄県の玉城知事は「5月の連休は外出自粛をすることにならざるを得なくなるかもしれません」と強調すると共に、「まん延防止等重点措置」を検討しているとか。
沖縄だけは、まるでワクチン接種が展開される前の日本のようになっている。
沖縄は、なぜ、こんなに感染者数が多いのだろうか?
春休み、夏休み、正月休みのサイクルで増えるということから、休みにより観光客が増えてしまうことが、要因の一つであることに間違いはないはずだ。
二次感染は人口密度が高いほど起きやすいと言われているので、観光客が増える時期に人口密度が限界を超えて二次感染が増えてしまっているのだろう。
イベントワクワク割?
そんな中、政府は「Gotoイベント事業」を「イベントワクワク割」に変えるようなことを言いだした。
1日の感染者数が5万人を超えている状態でも、イベントに参加しやすいようにしようというのだから、2年前の緊急事態宣言は一体何だったのだろうか?
もはや、習慣になってしまった毎日のマスク、アルコール消毒、体温測定・・・これらは、コロナ対策には意味がないのだろうか?
ワクチン接種が拡大したことで、妙な安心感が生まれたのではないだろうか?
日本のワクチン接種率は約80%(2回目完了時点)
これが、80代以上になると、98%以上になる。
新型コロナに関しては、まだ治療薬はないが、国民の多くがワクチンを接種したことで、昨年秋から末にかけて感染者数が劇的に減った。
これにより安心感が得られインフルエンザに近い感覚になってしまった。
多分、ワクチン接種したので大丈夫だと考えている人は多いと思うので、それが気の緩みとなって現在の5万人を超える感染者数に繋がっているのかもしれない。
ワクチンの3回目接種率は2022年4月7日時点で44%と低いが、これと気の緩みとは関係がないと思っている。
ワクチン接種券が届くのが遅い
そもそも、ワクチン接種の案内が来ていないのに接種はできない。
自分は昨年9月中旬に2回目の接種を終えているが3回目の案内が届いたのは2022年4月に入ってからだった。
昨年9月時点の2回目完了までの接種率は約47%だったので、2回目接種がこの数字を考えると案内が来ていない人がいる中で44%であれば、2回目までと大差はない。
以上から、接種が進んでいないのは案内が届いていないことが、原因であることに間違いはない。
このため、政府は3回目の摂取率が低いと懸念しているが、事情が理解できていないのではないだろうか?
ちなみに、イベントワクワク割の「ワクワク」は、ワクチンの「ワク」から取っているとか。
市民権を得てしまったコロナ
自分の知り合いで新型コロナウイルスに感染したのは、2人。
その2人も今年に入ってからのこと。
去年は新型コロナは、まだ、遠い存在だったが、身近でも感染者が出たことで身近に感じるようになってしまった。
しかし、2年前と比較すると恐怖心というのは感じない。
今では新型コロナも身近に感じられようになってきたことから、その辺に当たり前に存在していると思うようになったからかもしれない。
もはや、新型コロナは生活の一部として存在しているので、市民権を得たかのような存在になってしまったのかもしれない。