今週のお題「わたしのコレクション」
子供の頃に集めていたもの・・・
なんだっけ?
覚えてないってことは、集めていたものは無かったような気がする。
どちらかというと、一つのものを長く使うタイプだと思う。
それは、今も変わらない。
何でも良いから欲しいというよりは「必要」だから購入するという感じだったので、必要のないものを持ちたいという気持ちは子供の頃からなかったような気がする。
今も基本的に、考え方は変わっておらず、必要なものだけを所有するという気持ちは変わっていない。
具体的に言うと、靴やスニーカーは、靴を2足、カジュアル用を2足だけ所有している。
2足持っているのは濡れた時や洗濯した際に、予備がないと都合が悪いので予備になる。
コレクションと言えるのかどうかは、わからないが、今、自分が所有しているもの全てがコレクションということなのかもしれない。
本、服、シューズ、CD、DVD・・・欲しいものだけを今も所有しているので、それがコレクション。
スマホで遊んだ「ポケモンGO」でも「ピカチュウ」だけを狙っていた。
他のモンスターには興味はなかったので「ピカチュウ」ゲットだぜ!となった瞬間に急に冷めてしまった。
マンガコミックでも面白くなくなれば、途中で買うのを迷うことなく止めるし、アニメでも、つまらない回は途中で見ることを止める。
自分は全て揃えたいという「欲」に欠けているのだと思う。
コレクションというのは、「まとまったもの」を一つとして見てしまうために生じる物欲だと思う。
このため一つでも欠けてしまうと「コンプリート」状態にならないので、手に入ったことにならず、集めたくなる。
自分には「まとまったもの」を一つとしてみることが欠けているのかもしれない。
コレクション好きには3つのパターンがあるという記事を読んだ。
- モノよりヒトとコミュニケーションを図るためのツールとして、コレクションが必要で集めることに拘りは持っておらずヒトと交換することが重要
- 子供の頃に種々の事情から集められなかったのを大人になって集める
- 社会に認められない、人間関係がうまくいかないなど、足りない現実を満たすためにコレクションで欲求を満たそうとする、代償行為タイプです。
【出典】コレクション好きの心理は3パターンある|「マイナビウーマン」
この3つだけを見ると、手に入れたい・揃えたいという欲求よりも何か別の欲求により気持ちを紛らわすための手段が「コレクション」ということになってしまう。
他にも調べてみた。
- 寂しさを埋める
- 他の人にライバル意識を持っているから
- 人間が本来持っていた狩猟本能から獲物を獲得した時の満足度を楽しむため
他の欲求を満たすため
共通するのは、やはり他の欲求を満たすためのように感じた。
人と仲良くしたいから、優越感を味わいたいといった気持ちから始める「コレクション」も確かにあるとは思う。
しかし、人には「所有したい」という欲求があるはずだ。
これは他の欲求とは切り離された純粋に自分の手元に置いておきたいという気持ちの表れだと思う。
なぜ、手元に置いておきたいのか?といえば、「欠ける」ことで「満たされない」欲求を満たしたいということではないだろうか?
学ぶことはコレクション?
それは、何かを「学ぶ」ということに例えることができると思う。
仏教には「悟り」という言葉がある。
「悟り」とはどういう状態なのか?「知りたい」と思ったとする。
知るために必要な「知識」を集めようとする。
「知識」を集める行為は「悟り」という言葉が理解できるまで続くはずだ。
仏教書や経典を読んだり、写経や座禅を行ってみることもあるだろう。
こんなことを考えていると、自分のコレクションが見えてきた!
自分にもコレクションがあった
自分にも何かを学びたいと思って「知識」や「経験」を集めたことがあった。
Windowsアプリケーションの開発ツールである、Microsoft Visual Basicを知った時がそうだった。
開発ツールなので、これだけを所有しても何も満たされない。
満たされるためには、開発ツールを使ってWindowsアプリケーションが作れるようにならなければいけない。
自分は、Microsoft Visual Basicを本屋で何気なく立ち読みした一冊の本で知った。
その本を買って読んで凄いと感じて使ってみたいという欲求が生じた。
実際に、Microsoft Visual Basicを購入して使ってみて、更なる可能性を感じ、もっと深く知りたいと思ってマニュアルを読んだり、他の専門書を読んだりもした。
その結果、Microsoft Visual Basicの限界を知ることになった。
ここに至るまでの知識を集めたり、実際に使ってみたりした経験も、コレクションになるはずだ。
そして、集めたいと思ったのは、Microsoft Visual Basicを極めたいと思う気持ちからであって、幼児体験、認めてもらいたい、寂しさ、ライバルに勝ちたいといった感情は一切なかった。
何か学びたい、技術を取得をしたいという気持ちから集めたことは何度もあるので、自分にコレクション欲がないわけではなさそうだ。