他愛もない話について
- 気楽に書きますので、気楽に読んでください。
- あまり役に立たない内容になるかと思います。
- 特に何かを決めて書いているわけではなく、書いている内に、横道にそれたりするかもしれないので、最後はどんな話になっているのかわかりません。
- 僕の主観や記憶に依存する内容が多くなるので、間違っている内容もあると思います。(書いている内容について基本、裏付けを取ったりしません)
成人の日に初詣
昨年は初詣に行かなかったので、今年はどうしようかと迷った結果、成人の日に行くことにした。
友人から今年は鳥居の前にいつも並んでいる、「屋台」が出ていなかったと聞いていたので、コロナ渦なので自粛しているのかと思っていた。
神社に到着
正月も10日、それも朝9時前なら、混雑もしていないだろうと思っていた。
道路を走る車は少なかったが、神社に到着すると、考えることはみな同じなのか意外にも混んでいた。
みんな、駐車場に停まっている車の数を見て焦ったのか、車からそそくさと降りて、速足で境内に向かっていた。
その姿は、福男選びで1番を狙っている集団が一斉に駆け出す姿と重なった。
先に見える鳥居がゴールのように感じられた。
初詣に来てまで、慌ただしいことをしなくて良いのではないかと思いながら駐車場を探していた。
何とか、停める場所が見つかり、鳥居に向かった。
手水用の柄杓がない
鳥居でお辞儀をしたのち、手水舎(ちょうずや・てみずや)に向かうと柄杓(ひしゃく)がない。
表示がされており、「感染防止対策」により撤去したとのこと。
このため、竹の筒のようなものから水が流れ出ている。
水が出ているので手を清めることはできるが、口を清めるために水を口に入れるのは気が引けた。
これは、口にふくんだ水は口を清めるためのものなので飲んではいけない。
しかし、コロナ渦なので、清めた水を吐き出すのも気が引けた。
このため、両手だけを清めるだけにした。
手水舎には、ハンカチで手を拭くことを禁止していなかったので、手を拭いた。
手を拭きながら、初詣も1年来ないだけで変わってしまったんだなぁと思っていた。
マイ柄杓
柄杓が無くなったことが気になり、家に帰ってから調べてみた。
コロナ渦なので、感染防止から柄杓の撤去は、どの神社でも行っている。
すると、一つ、気になる内容が見つかった。
マイ柄杓だ。
全国の神社などから「なんとかならないか?」という切実な声が「祭り用品」「みこし」などを120年以上作っている、唐箕屋(とうみや)さんに届いたことから考えだされたのが、マイ柄杓だった。
全国屈指のヒノキの生産地である岐阜県東濃地方を中心に産出されるヒノキの銘木「東濃桧(とうのうひのき)」を使用しています。
表面は含浸系ポリマー塗装仕上げ(※食品衛生法に適合しております。)また持ち手には、真鍮製の木口キャップ金具を取り付けてあります。
木口キャップ金具はゴールド(金鍍金)とシルバー(ニッケル鍍金)の2種類よりお選びいただけます。8,800円(税込)
確かに、マイ柄杓であれば、これまで通りの作法で手水を行うことができる。
ただ、マイ柄杓自体が清められているのか?という疑問は感じた。
古札納所
前回、授かった「お守り」や「おみくじ」を古札納所(こさつおさめしょ)に返納した。お守りは1年を過ぎると不浄なものが溜まるということで返納する必要がある。
初詣は、お願いをすること以外に、願いが叶ったらお礼をする、授かった、「お札」、「お守り」を返納するという目的もある。
このため、毎年行くことが必要になる。
「おみくじ」を持ち帰っているのか?と思う人がいるかもしれないが、自分はいつも持ち帰っている。
これについては、後述する「おみくじ」の個所で書きたいと思う。
授与所
普通は、拝殿で拝礼という流れになると思うが、自分は、拝礼の前に授与所に行って「お札」「お守り」といったものを授かっている。
これは、拝殿で「お守り」「お札」にも願いを込めるという目的からになる。
拝殿
そして拝礼。
今年もこうやってお参りに来れたことに対して感謝や、願いことをする。
おみくじ
そして、最後が、おみくじ。
おみくじは、拝礼が終わったあとの「神様」からのメッセージだと思っている。
願ったことが正しいことだとは限らない。
おみくじは、その結果であり、「大吉」であれば、願ったことは間違っていない、
「凶」の場合だと見直す必要があるという風に考える。
そして、「大吉」であっても「凶」であっても、おみくじに書かれていることをしっかりと読んで理解し、実際に行う。
そのためには、境内の木などに「おみくじ」を結んで帰ってしまうと内容を見返したい時に、見返すことができない。
このため、「おみくじ」は必ず持ち帰り、いつでも見返すことができるようにしている。
このため、「大吉」「凶」で自分の今年の運勢が良いとか、悪いといったことを考えることはない。
鬼を見た
そして、神社をあとにして帰ろうとすると、駐車場に停めようとしている若い男性がいた。停めるのをまっていると、なぜか、若い男性が、こちらを鬼のような形相で見ながら車をバックで停めていた。
なぜ、鬼のような形相で見られたのかはわからなかった。
そして、ふと思ったのは鬼というのは日本では悪い奴の代名詞のようになっている点だ。
鬼については、長くなりそうな気がするので次のネタにしたいと思う。