今週のお題「サボる」
夏休みの始まり
小学生の頃は学校に行くのが楽しくてしょうがなかった。
勉強が楽しいからではなく、友達と話したり遊んだりするのがだのしかったからだ。
このため、夏休みが近づくに連れて、長い休みが楽しみだという気持ちと、みんなと会えなくなるのが寂しいという気持ちに挟まれて複雑な気分だった。
朝は、ラジオ体操から始まる。
自分は、朝は子供の頃から早起きだったので、苦にはならなかったが、今、考えてみればラジオ体操に参加させることで学校に通っている時と同じ時間に起きる癖を持続させようという目的があったのだろう。
ラジオ体操に参加するとスタンプカードにスタンプを押してもらえて、毎日、押してもらうことができたら景品が当たるということで頑張って参加していたので夏休み中でも自然と規則正しい生活リズムを保つことができる。
夏休みの終わり
それでも、夏休みが終わる8月31日に近づくにつれて気持ちが重くなっていた。
長い休みに慣れてしまうと、学校に行くのが嫌になるというのは不思議で友達と会えるという気持ちを超えていた。
もう一つ、気を重くしていた理由が夏休みの宿題だ。
いつも、夏休みが始まった頃は先に宿題を片付けてしまうと思ってはいるが、実際に始まれば家で宿題をしようという気持ちよりも外に出て遊びたいという気持ちが優ってしまうので、宿題のことは頭から離れてしまう。
何日かは今日こそ宿題をするぞと思ってはいるが、同じことを繰り返すだけで、1週間後には宿題のことを考えることさえなくなる。
家でテレビを見ていると、夏休みもあと1週間ですと言ってるアナウンサーが必ずいてそんなことを、わざわざ言わなくても、十分わかっているから、余計なことを言うなって内心、思っていた。
夏休みの宿題
夏休みの最後に近づくにつれて気持ちを重くしてくれた夏休みの宿題というと以下のようなものが思い出される。
- 夏休みの冊子(夏休み帖)
- 日記
- 読書感想文
- 自由研究
- 自由工作
基本的に毎日、続けないと終わらないような量を設定しているのだと思う。
しかし、小学校の頃は遊ぶのが仕事で、学校の勉強の方は、サボる癖がついてしまっていた。
このため、夏休みの宿題は夏休み中、一切、手を付けることなく、8月31日に、まとめて片づけるというのが常だった。
夏休みの冊子だけでも1日で片づけるのは大変だったが、1日で終わらせる自信があった。
今、考えるとよくやったもんだと思う。
自由工作
唯一、自由工作だけは、何を作るにしても丸1日かかるのは、よく理解していた。
それなのに、なぜ、全ての宿題が1日でできたのか?
それは、秘密兵器があったからだ(笑)
祖父は木工加工が得意なので、本棚、椅子、机何でも作ってくれる。
自由工作は祖父が作ってくれるので、それを祖父と一緒に作ったということにして、持っていけば、良かった。(ほんとは良くないことなので、良い子は真似しないように)
祖父は、子供が作ったように見えるように時々、失敗をしてくれていたので、偽装工作も万全だった(笑)
これは、最初に祖父に作ってもらったものを持って行ったところ、金賞を受賞してしまったからだ。
これは、ダメだということで、祖父に相談したところ、以後は偽装工作を行うということになった。
読書感想文
読書感想文も書くためには本を読まないといけない。
読むだけでも早くても半日はかかる。
これは何の問題もなかった。
なぜなら勉強には興味はなかったが、本は好きで色々な本を図書館で借りたり、買ってもらったりして、幅広く読んでいた。
このため、過去に読んだ本をパラパラと見ていき内容を思い出した状態で感想文を書けば良いので1時間もあれば書けた。
日記
そして、日記。
日記は意外なほど、何曜日に何をしていたのかは覚えていたので、そうすると天気も一緒に思い出せた。
絵については、苦労した記憶がないが、どうしていたんだろうか?
それでも、やはり覚えていない日もあったが、そんな日は、大体、雨の日で家にいた時なので、雨の日に家で行なっていたことなんて、限られるので同じようなことを書いておけば良い。
夏休み帳
そして、夏休み帳だ。漢字・算数・理科の問題が書かれてある。
時々、体験とか調べてみようという内容のものがあって、これは1日では無理だという内容で絶望的になったこともあった(笑)
絶望的になった時、どう対処したのかは、なぜか覚えていない。
覚えていないということは、想像で書いたような気がする。
夏休み帳は、間違えたからといって、どうにかなることではない。
このため、漢字なども調べたりすることなく、実力で回答した。
自由研究
最後が、自由研究。
これが一番時間がかかるので、いつも最後にしていた。
何人かに話を聞いていると、自由工作というものを聞いたことがないという人が多く、自由研究に含まれているという意見が多く、無駄なことをしたような気になり何か損をした気がした。
アリの研究
一番、記憶に残っている研究が、「アリの研究」で、この時は、自由研究のネタが見つけることができず、思わず外に出てしまった。
暑い夏の日にネタが見つからず、何となく地面を見ていると、アリの行列が目に入ってきた。
何をするわけでもなく、ただアリの行列を見ていた。
暫く見ていると、同じ蟻でも3種類のアリがいることに気が付いた。
- 食料のようなものを背負って巣に向かうアリ
- 手ぶらで巣に向かうアリ
- 何もしないでブラブラしているアリ
このうち、何も背負わずに巣に向かっているアリというのは、何をしているのだろうか?と凄く気になった。
もう一つ、イソップ寓話のアリとギリギリスの話では、夏にアリ達は必死に働き食料を巣に蓄積していたが、キリギリスはバイオリンを弾いたりして遊んでいただけだったので、冬になると死んでしまうことになっていた。
しかし、アリの中にもキリギリスと同じで何も運ばなかったり、同じところをウロウロしてサボっているアリがいる。
キリギリスは怠け者でアリが働き者というイメージは消えてしまった。
しかし、手ぶらで巣に向かうアリについては、なぜ手ぶらで巣に向かっているのか疑問が残っていた。
子供の頃は、ずっと見ていれば、絶対にわかるものだという妙な確信があったので、更に観察を続けた。
この頃は、パレートの法則や、2-6-2の法則の存在があることを知らなかったので最初はアリは全て同じなんだという固定概念で見ていた。
しかし、観察を続けるうちに、食料を運んでいるアリを囲うかのようにアリがいるような気がしてきた。
もしかすると、食料を運ぶアリを手ぶらなアリは敵から守ろうとしているのではないか?という仮説が頭に浮かんできた。
小さいジョウロに水を入れてアリの行列の前に水を少しだけ流してみた。
水の中に入っていくアリ、迂回するアリ、ウロウロするアリ色々だ。
水の中に入っていくアリを見て、その頃はアリには目が見えないものもいるのかと思ったものだ。
そして、食料を運んでいるアリを見つけると、その周囲にたくさんのアリがウロウロとしていた。
その光景が子供の頃には、守っているように見えた。
それを見て、手ぶらのアリには、食料を運んでいるアリを守るのが仕事なのだと確信した。
こんな感じで、見て感じたことを文章にして自由研究としたところ、銅賞が貰えた。
自分としては、夏休み最終日に宿題をまとめてやろうとしたが、自由研究のテーマが見つからず、行き詰っていたら、偶々外で、アリの行列を見つけて、その時、見たことを書いただけだったので、先生たちを騙したような気持ちになり、後ろめたい気持ちでいっぱいになってしまった。
こうやって、アリの行列を見ていた8月31日は、今でも忘れられない思い出の日になった。