外を歩いていて、前から、自分と同じ服、靴の人が現れた。
トランプのカードの山から4枚取り出したら、A(エース)が4枚揃った。
街を歩いていたら芸能人に出会った。
これって「偶然」なのだろうか?
世の中にはたくさんの同じ服や靴が売られているので、同じものを買う人もいるものだ。
そして、同じ組み合わせで着てしまうこともあるだろう。
しかし、その二人が外で出会うとなるというのは偶然なような気がする。
では宝くじで1等が当たるというのはどうだろうか?
宝くじ、今年のサマージャンボ宝くじの販売枚数を見ると、23ユニット(1ユニット1000万枚)と書いてある。
23ユニット×1000万枚=2億3千万枚販売されていることになる。
日本の総人口の約2倍だ。
そして1等の本数は、1ユニット当たり1本なので23本になる。
日本人全員に宝くじを2枚ずつ渡したとして、1等が当たるのは10人程度だと思われる。
日本中で10人しか当たらない宝くじで1等が当たるのは偶然なのだろうか?
偶然とは?
「偶然」とは、以下のように定義されている。
- 何の因果関係もなく、予期しないことが起こること。
【引用】デジタル大辞泉より
「因果関係がない」場合は、「偶然」で、逆の場合は、「必然」ということになる。
同じ服の2人が出会うことに本当に因果関係はないだろうか?
同じ服を買って、同じ組み合わせ着る二人のセンスや好みは似ているはずだ。
そうすると、同じような情報源を持っていることが予想される。
普段、見るテレビ、雑誌、インターネットのサイト、SNSでも、同じものを見ている可能性は高い。
少なくとも同じ服を購入している時点で同じ店のものを買っていることになる。
その店で出会っている可能性は十分ある。
そうすると、全く接点のない二人ではなくなり、「必然」の可能性が見えてくる。
芸能人と遭遇するということに対しても、同じことが言える。
同じ店に行ってるとすれば会える可能性は十分にある。
芸能人同士が外で会うことがあるというのは、同じような場所に住んでいたり、共通の知人がいたりして同じ情報源を持つことで接点が生じるのではないだろうか?
会社の同僚と外でバッタリ会うなんてことは、よくあると思うが、これと同じことだと思う。
トランプや宝くじとなると自然に任せている限りは必然の要素は少ないので確率の少ない事象が起きたとするなら偶然と言えるような気はする。
バタフライ効果
しかし、自然に起きたことなら因果関係が本当にないのか?というとバタフライ効果を考えてしまう。
バタフライ効果とは、米国の気象学者、エドワード・ローレンツが、「ブラジルで、蝶が羽ばたくとテキサスで竜巻が起こるのか?」という講演のタイトルのことだ。
些細なことが引き金になって、様々な現象が発生して大きな事象に繋がっているのではないか?そう考えると、目の前で起きていることには全て因果関係があり、偶然では無くなってしまう。
トランプが4枚揃うことも、宝くじで1等が当たることも、些細な出来事がキッカケで起きたことになる。
バタフライ効果は、実際に世界中の人が、新型コロナで体験しているはずだ。
武漢での感染者が世界中に広がり一年以上にも渡り今も多大な影響を世界中に与えている。
地球上で最も寒いと言われている南極では2020年12月までは感染者が出ていなかったことから、世界で最も安全な場所だと言われていたが、感染者が確認されたというのだから、目に見えないようなウイルスが因果関係により南極まで広がり世界を混乱させたことになる。
新型コロナの経験した今なら、バタフライ効果が実在することに疑いを持つものはいないのではないだろうか?
バタフライ効果が実在するなら、宝くじで1等が当たることは、偶然では無く必然だと考える方が自然なような気さえする。
百匹の猿現象
もう一つ、考えてしまうのが「百匹の猿現象」だ。一匹の猿が「サツマイモを洗う」ということをはじめ、それが群全体に定着すると海を超えた遠く離れた別の猿の群れも「サツマイモを洗う」行動を取るようになるというものだ。
この現象にどのような因果関係があるというのだろうか?
人間とは違い、離れた場所にいる猿同士がインターネットで情報を交換するなんてことはできないはずだ。
しかし、何らかの方法で離れた場所にいる猿にも「サツマイモ」を洗うということが伝わったことになる。
こうやって考えてみると、一見すると因果関係がない事象であっても実は因果関係があるのかもしれない。
そうすると、「偶然」というのは存在せず、全てが「必然」なのかもしれない。