3日間の講習に参加して終わると、
- いやぁ~勉強になった。
- ためになりました。
- 実務に役立てるぞぉ~
- 実践して変わる!
とまぁ、まるでアクション映画を見終わって出てきた時の気分です。
何のための講習?
時間と共に、その感動は薄れ、内容も忘れてしまい、一晩眠ったら結局、何も変わらず今まで通りです。
感動することが、できればまだ良いんですが会社がセレクトした講習だと、これが何の役に立つの?って場合も少なくありません。
どちらも、何のために講習に参加したんですか?って感じです。
すぐに必要なことなら教えてもらったことを実際に使ってみるということもしますが、これ、いつ使えるんだろう?って内容だと結局、勉強になったで終わりです。
習ったことを実際に役立てることもしないのに、「あの講習は良かった」という記憶だけは残っているので、あの講習は良かったよ。
「これから管理職になる人は受講しておいた方が良いと思う」なんてことを言ってしまいます。
でも、内容なんてすっかり忘れているので、「どんな内容でしたか?」なんて質問されると「んっ?」ってなり、微かに覚えている概要を説明して逃げようとします。
学んでも行動に移せない人
そんなことから、よく言われるのが、「学んだことを行動に移さない人が多い」ってことです。
自己啓発本を読んで「勉強になった」「これは使える」と思ったはずなのに実際に行動することもなく、本の内容さえ忘れてしまう人が 圧倒的に多いと思います。
僕が疑問を感じたのが、本の内容はしっかり覚えていて、人に教えられるほどなのに、実際に行動しているのか?というと言ってることと行っていることは違うという人です。
内容を忘れてしまっているのであれば、当然、何をしていいのかわからない状態なので行動できないのは当然ですが、人に教えられるレベルなのに、どうして行動に移さないのでしょうか?
自分に置き換えた場合に、教えられるほど理解しているのに、実際にはできないことで考えてみました。
学べば150Kmの球を投げられますか?
僕は、野球が好きだったので、中学に入学するまでは野球をやってました。
色々と勉強もしたので、それなりの知識もあると思っています。
でも、今は?というと、知識に関しては、覚えているように感じますが、実際に投げてて、捕って、打つとなると、遠くに投げることも、大きなフライを追いかけてキャッチする、早いボールや変化球を打つということは、できないだろうなぁと思います。
野球は小学2年生から6年生までの4年間やっていました。
当時は意外と器用だったので、野手の全てのポジション、投手・捕手でも大丈夫でした。
基本はサードでしたが、投手がいなければ投手、外野がいなければ外野、捕手がいなければ捕手と何でもやってました。
少しでも上手になりたいということで、プロ野球の試合があれば見に行ったり、本を買って勉強したりもしました。
本に書いてあることは、文字・写真・絵なので、2次元の情報から書かれてあること感覚化しようとしても簡単なことではありません。
例えば「150Kmの球の投げ方」が書かれてあって、内容が理解できれば誰でも150Kmの球が投げられるのか?というと、そんな簡単なことではないことは野球をやったことがある人なら誰でもわかるはずです。
投げる時のポイントが、体重移動、回転運動だということは、わかっていますが、実際に行おうとすると、どうしても腕だけで投げようとしてしまって球に力を100%伝えることができないんですよね。
何度繰り返しても、上手くいかないので嫌になってしまい止めてしまう。
つまり、続かないというのは「結果がでない」からだと思います。
行動を変えるには?
今の例は、身体の使い方に関することで、行動を変えるといった内容ではありませんでした。
次は、行動を変えるという面で考えてみます。
世界的ロングセラーで「7つの習慣」という自己啓発本があります。
7つの習慣というのは、人の土台である人格を構成構築することが重要で、人格を磨くための原理原則として7つの習慣があり、第一の習慣から第七の習慣までを順番に実践していくというものです。
そして、基本的な考え方として、「人が物を見る時には、ある種のレンズ(パラダイム)のようなものを介在して、認識、理解、解釈、行動、態度を決めている。」という内容があります。
●依存状態から自立する
第一の習慣:主体的である
第二の習慣:終わりを思い描くことから始める
第三の習慣:最優先事項を優先する
●自立した人間が相互に依存する
第四の習慣:Win-Winを考える
第五の習慣:まず理解に徹し、そして理解される
第六の習慣:シナジーを創り出す
●四つの側面(肉体的側面、精神的側面、知的側面、社会・情緒的側面)のそれぞれを再新再生させる
第七の習慣:刃を研ぐ
【出典】書籍:7つの習慣より
7つの習慣のうちの最初の習慣「主体的である」が凄く難しいんですね。
ここで「主体的」というのは、「人間として自分の人生に対して自ら「選択」し、自ら「責任」をとるということ」です。
「責任」は英語で「responsibility」です。
「responsibility(責任)」は、「response(反応)」と「ability(能力)」が合わさったもの。
つまり「責任」とは「自分の反応を選択する能力」のことになります。
具体的には、本を読んで「つまらない」と感じた時に、こんな本を書いた作者は何を考えているんだ?と怒りを感じるのは、「主体的でない」ことになります。
つまらないと感じたのは「反応」です。
7つの習慣では、「反応する」のではなく、「変化させる」ことが「主体的」だという考えです。
そもそも、その本を選んだのは自分自身です。
それにその本を別の人が読むと「面白い」と感じるかもしれません。
自分が経験してこなかったような内容や自分が知らないような専門用語が使われていると何のことかイメージができないので、「つまらない」と感じるかもしれませんが、同じような経験をしたことがあったり、専門用語も日頃から理解できているような内容なら「面白い」と感じるかもしれません。
この場合の「主体的である」というのは、他に責任があるわけではなく、自己責任として、どう変化させるかを考えるということです。
「面白く」なるように勉強するとか、経験ができることであれば実際に経験してみるという方法もあります。
と、理屈では、「主体的である」と言えますが、いざ、実際に、つまらない本を読めば、途中で投げ出したり、無駄な本を買ってしまって損をしたと「主体的でない」状態になってしまいます。
学んだことは理解できたつもりでも、実際に自分の身に降りかかった場合に、理解できた通りに行動できないということは、学んだことが間違っているのか?自分の理解が足りないかのどちらかです。
僕が何度も第一の習慣「主体的である」で挫折してしまったのは、先ほどの野球と同じで実際に試してみようと思った時に、「つまらない本」の例でさえ「主体的である」ことができなかったからです。
頭では理解できても、心は納得していないということですよね。
納得できていないことを行うって無理があります。
困ってますか?
もしも、今の状態に満足していれば、無理、無理と判断(反応)して行動できないまま終わってしまいます。
でも、今のままではいけないという強い気持ちがあれば、何とかして変えないといけないと必死に考えるはずです。(変化)
人って基本的に何かが起これば、何らかの反応をするものだと思います。
嫌なことが起これば、嫌だと感じ、嬉しいことが起これば嬉しいと感じる。
この部分を変えることはできませんが、嫌だと感じることを軽減したり、変えることはできるはずです。
反応して終わるのか?そこから変化させようとするのか?この差は何によって変わるのか?と言えば、それで困らないか?いうことです。
このままでいいやと思えば、反応で終わり、これじゃあダメだと思えば、変化しようとします。
僕が第一の習慣で躓いているのは、「このままでいいや」という思いが強いからです。
「必要は発明の母」という言葉がありますが、僕は「困るは変化の母」だと思います。
困っていないことは勉強しても身に付かないということです。
「ピンチの後にチャンスあり」という言葉がありますが、困ったときほど、変化できるということになるので、ピンチがチャンスに変えてくれるとも言えます。
行動に移せないことがあれば、それができないと困るように追い込むことで変化できるのではないでしょうか?
でも、困るというのは精神的にマイナス要素が強いからというのであれば、色んなことに「興味を持つ」というのもありだと思います。
いきなり、何にでも興味を持てと言われても、難しいかもしれません。
しかし、人間には知りたいという欲求が誰にでもあるはずです。
知りたいと思うことは、わからないことに対してです。
つまり、「疑問を持つ」ということが興味を持つということにつながるのです。
直ぐにわかってしまうというのは、逆に言うと、何もわかっていない可能性があります。
わかったつもりになるから、疑問が生じず、興味も持てなくなります。
でも、わからない所があると、疑問が生じ、興味を持てるようになります。
疑問を持つためには、「何が問題か?」を考えることが必要です。
問題が出されると、答えを見つけようとするのが人間です。
何とか答えを見つけようと努力すれば人は自然と変わるものです。
完訳 7つの習慣 人格主義の回復: Powerful Lessons in Personal Change
- 作者:スティーブン・R・コヴィー
- 発売日: 2014/05/23
- メディア: Kindle版