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もっと早く教えてくれよって思った内容を書いていきたいと思います。

文藝春秋に掲載されている安藤優子さんの記事を読んで共感しました。

安藤さんの記事を見つけた

安藤優子さんってフジテレビのニュースの人ってイメージがあって、それが何年か前に、「グッディ」というお昼のワイドショーに移られて、2020年9月で卒業されたのですが、34年間ずっとフジテレビの生放送を担当されていたということです。

34年間っていうと、昭和・平成・令和と3つの時代で、平成に至っては全ての報道に関わってきたということですよね。

ニュース番組は基本的に生放送なので、時間通りに全ての報道を伝えないといけません。発言も生放送なので一度、言ってしまうと取り返しがつきません。放送中は一瞬も気が抜けないはずです。

それを月~金毎日、毎日34年間繰り返すというのは、並大抵の苦労ではなかったと思います。

34年間張り詰めた空気の中で生放送のMCを務めてきて、2020年10月に突然、解放されたら僕なら気が抜けてしまうと思います。

そんな安藤さんが解放されたあとのことを書いた記事に引きつけられてしまいました。

  • ダンナを職場まで送らなくてはならない事情ができて、我が家の犬2匹も乗せて、3週間ぶりにフジテレビのあるお台場に行った。犬を連れて行ったのは、ついでに近くの公園で朝散歩を済ませてしまうためである。誰かを送りにお台場に行く、という状況がやたら新しく、しかも犬連れ、不思議な感じだった。ガラガラの「お台場海浜公園」の駐車場に車を入れ、犬を降ろして散歩をした。
  • 人影もまばらなお台場の公園、ランニングウエアでさっそうと朝ランする女性、ご夫婦らしき年配の男女がゆっくりとウォーキング、海に向かってストレッチをする若めの男性、などなど、それぞれの時間をそれぞれに過ごしている。ものすごく平和。とても静か。で、見上げれば大きな球体を戴いたフジテレビの社屋が。
  • あの建物の中では今このときもすさまじい勢いで人が動き、走り、怒鳴り、叫び、生放送を送り出していると思うと、そのすぐ足元の公園の風景は別世界である。ほんの少し前までは「あの建物の中で」髪の毛振り乱して生放送をしていた自分は、「あの建物の外」の営みの空気にどれほど気づいていたのだろうか。

bunshun.jp

34年間通った場所に旦那さんと飼っている犬と一緒に行くって凄く複雑な気分だと思います。つい3週間前まで当たり前のように入っていた場所に入ることができず中から見ていた景色が外から見ている景色に変わるというのは、ずっと一緒に仲良くしてきた人が、突然、他人になったような感じなのではないでしょうか?

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あの建物の中でまるで戦争のような毎日を過ごしてきたのが、今は平和で静かな場所を犬と散歩しながら、自分が戦ってきた戦場を眺めているというのは変な気分だと思います。

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以下の記事で書きましたが、2020年夏の京都で炎天下の中、意識が薄れながらレポートをしている女性ディレクターに対して心配するどころか、笑いながら対応していた安藤さんは正直、嫌いでした。

seege.hatenablog.com

そんな安藤さんですから、 きっとトゲのある記事なんだろうなぁと思っていたのですが、実に穏やかな心地良い分に仕上がっていたので、僕も穏やかな気持ちで読むことができました。

特に以下の部分です。

  • 犬と散歩しながらふと目にした「あの建物の中で」実は一人「ニュース祭り」をしていただけではなかろうか、とそんな気がしたのだ。「これは大変なことになった」と意気込んでニュース速報をお伝えするとき、それがどれほど「建物の外」の人たちにとって重要なのか、どれほど意味があることなのか、私は思い及んでいたのだろうか。「建物の外」には、静かに流れる時間があり、変わらぬ個々人の営みがある。
  • 「たった今入ったニュースです」と勢いこんで速報を入れても「それがどーした」という反応の世界の存在に気づかされた朝だった。ニュースのリードと呼ばれる短い前説部分に時折「驚くべき〇〇」という文言が使われることがある。「べき」などとはなんと押しつけがましいことか。と思って「べき」表現が原稿に出て来るとそっと削除していたのだけれど、「今入ったニュースです!」も同じくらいある意味押しつけがましかったかも、と思った。

【出典】(2ページ目)安藤優子が「34年のフジ生放送生活」を終えて気づいた“押しつけがましさ” | 文春オンライン

人って視点が変わると考え方も人が違ったように変わるんだなぁと感じました。

僕は、視聴者の視点でニュースをずっと見てきたので上記に書かれてあるようなことは僕にとっては当たり前のことです。

しかし、報道している側だった安藤さんは当たり前のことに気づいていなかったということに僕は驚きました。

世の中には色んな人がいるように、色んな視点の人もいるということです。

たとえば、下図のような平面図を見た場合ですが、3人がそれぞれ、1つずつを見せてもらったとします。

その際に、以下のように答えた場合、どれが正解かわかりますか?

  • 左端を見た人:正八面体
  • 中央を見た人:四角錐
  • 右端を見た人:ひし形

f:id:seege:20201115163348p:plain上手はそれぞれ下図の視点から見たものです。

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視点が変わると全く異なるものに見えてしまうんですね。

今、SNSで自分の考えと違うからと一方的に批判する人がいますが、単に視点が違うだけかもしれないんですね。

報道は記者が見た視点で書いたものです。

例えば、上図の場合に、記者が四角錘を見たという記事を書くと、それを読んだ人は四角錐だと信じるわけです。

しかし、記事を書かれた人は、ひし形だと思っています。

当然、記事の内容は間違っていると訴えます。

でも、本当は、正八面体なので、どちらも間違っていることになります。

真実は一つですが、間違いは無限にあるんです。

沢山、ある間違いの中から、たった一つの真実を見つけるというのは凄く難しいことです。

報道する側はもちろん、色んな視点で見て報道する必要があります。

しかし、SNSで批判したりするのであれば、1つの報道だけで真実だと判断するのではなく、色々な視点から見る必要があるんです。

今回、安藤さんの記事を読んで、改めて色んな視点から見ないと真実を見逃すことになると感じました。