ZARDの坂井泉水さんは、絵画が好きで、ご自分でも油絵を描いていて、文具店の伊東屋に画材を買いに行っていたということです。
以下の画像は坂井さんが実際に使用していたものです。
【画像】SANSPO.COMより
音楽雑誌(GiRL POP 1992年)で、ZARD 坂井泉水さんのインタービューが以下のように掲載されていました。
タイトルは、「いつも聞く人の立場に立っていたいんです」
- 私自身、ある意味では冷めてて、自分の歌をリスナーの耳で第三者的に聴くようにしているとうか・・・。
自分の主義主張をリスナーに押し付けたくないんですよね。
ガーッとうたって主張したところで、すべてが伝わるかどうか・・・。
演っているほうと受け取るほうでは多少の誤差が出てくると思うし。
私としては、淡々と歌っていたいんです。
特に伝えたい。感じ取ってほしいと思う曲は、あえて淡々と歌いますね。
朗読みたいに、っていうのかな。
ドラマの台本を読んでいるみたいに感情的にセリフを言うのって、
私はなんだか嘘っぽく聴こえてしまうんですよね。
朗読のように淡々と歌っていくほうが、リアルだと思うんです。
モディリアーニの絵って、私とっても好きなんですけど、彼の表現のしかたが私の求めているものにいちばん近いような気がします。
- あの人の絵って細かいところはあまり描いてなくて大まかなんだけど、
そんなふうに輪郭だけが浮かび上がっているほうが、かえってすごくシンプルでいいんです。
逆にそのほうが、何か訴えかけてると思うんですよ。
途中までしか描きこまれてなくて、その先は観る人の感情によってハッピーにも悲しみにも受け取れてしまう・・・そういう表現のしかたに私はすごく惹かれますね。昔から日本女性が持っているような、ちょっと控え目な部分って大切にしたいなと思ってるんです。
やっていることはロックで男っぽいことなのかもしれないけど、だからこそ、そういう部分を持ち続けたいんですよね。たとえばアルバムを作り終えた後でも、
一生懸命作って歌ったから、みんな聴いて!というよりは、あのー、これいちおう自信作です。
よかったら聴いてください。っていう感じかな?(笑)。
アルバムも、いっぱい売れてほしいけど、わかってくれる人が、わかってくれればいいかなっていうのが正直な気持ちですね。
モディリアーニというのはイタリアの画家で、パリを中心に制作活動を行っていました。独特の絵なので売れず、酒と薬物に走ってしまい、病魔に襲われ35歳の若さで亡くなっています。描いた絵のほとんどが肖像画でした。
【出典】
モディリアーニが亡くなる直前の言葉が以下になります。
- 人生は、ほんの一握りの人間から大勢の人間への贈り物だ。
持ち、知る者から、持たず、知らざる者への。
モディリアーニの言葉も絵も、真っ暗な中に光が見えるような感じなんですね。
上記の言葉だと、多くの人は一握りの人間に生かされているかのように受け取れるのですが、「贈り物」という言葉により小さな明かりが見えてきます。
坂井さんは全てを描かずに輪郭だけを描いてあとは見る人に委ねる表現方法に惹かれるとあります。
坂井さんらしい感性だなぁ~と素直に感じました。
下の絵は坂井さんが実際に描いた絵です。
やはり、モディリアーニの絵にかなり影響を受けている感じがしますね。
- 伝えたいところは、あえて淡々と歌う。
- 途中までしか描きこまれてなくて、その先は観る人の感情。
この部分に坂井さんの人となりが伺えます。
今回は、坂井さんに習い、あえて、余計なことは書きません。
この先は、あなた自身で感じてください。