「お客様は神様です」の真意
「お客様は神様です」といえば、歌手である三波春夫さんの有名なフレーズでした。
このフレーズが三波春夫さんの真意とは違う意味に捉えられたり、使われたりしていることが多いとのことです。
以下は、三波春夫さんが「お客様は神様です」というフレーズに対する意味について答えたものです。
- 歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝(げい)をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです。
【引用】三波春夫公式ホームページ
三波春夫さんは、お客様は神様なので大事にして媚びなさい。何をされても我慢して尽くしなさいという意味で使っていたわけではないということです。
新型コロナウイルスの感染で、色々なものが不足するようになりました。
マスクに始まり、トイレットペーパー、ティッシュペーパー、アルコール消毒液、体温計、今後、まだ増えていくのかもしれません。
去年の今頃、マスクが店頭から無くなるなんて誰も考えていなかったはずです。
マスクは去年の今頃は1枚10円~20円位で買えていましたが、今では、1枚50円だと良心的な価格に見えてしまうくらい、価格が高騰しています。
今の日本では三波春夫さんの真意ではない、「お客様は神様です」が当たり前になっているように思います。そんな日本でも店が客に「売ってあげていた」という時代があったということを聞いたことがあります。ドイツでは店員が客よりも立場が上で、注文は店員が来てくれるまで待たないといけない、注文を間違えてしまっても、客の声が小さかったとか言われ、精算も店員が帰るタイミングで強制的にさせられる場合もあるとか。
売り手と買い手
本来、売り手と買い手は対等のはずなんですよね。
モノやサービスと対価と引き換えに提供するのですから、売る方と買う方の条件が合えば契約成立というものです。ヤフオクや、メルカリの売り手と買い手の関係が本来の姿なのだと思います。
ところが、どうしても需要と供給のバランスが崩れると優劣が生じます。
不景気で就職氷河期と言われた時代は、売り手市場と言われ、求人を募集する側が優位でした。しかし人不足だと言われると、一転して買い手市場に変わり学生様という感じでした。
売り手が多くなれば、買い手が売り手を選べるので買い手市場となり、買い手が多くなれば逆に売り手市場となります。
これは、外貨や株取引でも同じことです。
買う人が増えれば価格が上がり、売りたい人が増えれば価格が下がる。それだけのことなんです。
日本でお客様が神様だと言われるまでになったのは、売り手が多くなり、買い手が選べる状態が続いているからだと思います。
日本で店が売ってあげていた時代というのは、売り手が少なかったからということになります。
おでん屋での出来事
随分前に知人に連れられて、お勧めのおでんの店があるということで連れていかれたことがあります。
5人で満員といった小さな店でした。
店内はカウンター席だけで店主が1人で全てを行ないます。
店主は60過ぎくらいの男性で店に入った時には深夜だったこともあり店主は、かなり酔っている様子で目が座ってました。店内は店主を中心に話が回っていて、客が店主の御機嫌を取るような感じでした。
そのこと自体は、別に気にならなかったですが、僕は初めての店だったことと、店主がかなり酔っていたので、あまり関わらないようにしていたのですが、それが気に入らなかったのか、「黙っている奴がいると雰囲気が悪くなる」とか僕に暴言を浴びせるようになってきました。
店主をネタにして、おだてたりして話が進むというのが楽しい店なんだと感じましたが、僕が話に加わらなかったことで、店主の話が面白くないという風に感じて気分を害されたのだと思います。
一人で入った店なら、その時点で出て行ったのですが、知人の顔も立てないといけないと思って、仕方なく話に加わるようにしました。
店主の機嫌がよくなってきたところで、僕は店を出ました。
あの、おでん屋の店主の姿は今の客の姿
おでんが美味しいと言われていましたが、お金を払って店主の機嫌を取っていたようなものですから、正直、味なんて覚えていません。
これって、今の日本は逆のことが当たり前なんです。
店が商品やサービスを提供するだけでなく、客の機嫌まで取らないといけないんです。
本来は、商品やサービスの対価がお金であり、客の機嫌を取る事は店が提供する必要がないことです。
でも、客の機嫌を損ねると、あの、おでんやの店主の様に暴言を浴びせたり、今だとSNSで拡散して店を批判します。
客も商品やサービスの対価としてお金を払うのであって、店主の機嫌を取ることは含まれないはずなんですね。
今、日本には、あのおでん屋の店主のような客が多いように思います。
店主の気分を害さないように、お客達が、うまく立ち回るので、それが当たり前になってしまい、店主が少しでも気に入らないことがあれば、気分を害してしまう。
日本では客が、まさにこの状態だと思います。
当たり前が増え過ぎた
気を遣われるのが当たり前になってしまい、少しでも自分に気に入らないことがあると、イラっとしてしまう。
自分の思い通りにならないと気に入らない。
今日も、マスクを無料で配布するという方が、配布すると言っていた時刻より前に配り終えてしまい、言い寄っている方の報道がありました。
時刻より早く配ったのは、多くの方が配る方の近くに寄ってきて三密の状態になってしまったので、これを一刻も早く回避するためにはマスクを配るしかないと考えたためだったそうです。
今は、善意で配るということにさえ、自分が気に入らないことがあれば苦情を言うような状態です。
善意で配ってくれているのに、このような結果になり残念です。
もう対価も何もあったものではなく、完全に買い手というか消費者が優先です。
「当たり前」が増え過ぎて「感謝」という気持ちが無くなっている、そんな気がします。