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もっと早く教えてくれよって思った内容を書いていきたいと思います。

【お題:しごとの思い出】会社をブラックにしたのは国と労基署

定時は21時、月120時間の残業

今は働き方改革だとかで労働時間の制限が厳しくなっていますが、僕が入社した頃は、公には定時は17時でしたが、実際の定時は21時でした(笑)

17時で帰っていたのは女性事務員だけでその他の方は残業が当たり前でした。

このため、当時は21時から残業という感覚になっていて、そこから更に最低3時間は仕事をしていたので帰るのは深夜12時過ぎという毎日でした。

求人票には隔週の週休二日制と書かれてはいましたが、実際は月2回だけ土曜日が休みというのが実態でした。

せめて休日はしっかり休みたいという事で平日に頑張る人が多かったので、僕もその流れに乗らざる得ませんでした。

その結果、1ヶ月の残業時間は120時間を下回ることはありませんでした。

あと、会社が古い建物だったので、職場は屋根裏部屋で、窓が全くありません。

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1日4食の食事

職場を出るのは、昼食と定時後(17時)に夜食という夕食を食べる時だけでした。

一応、小さいながらも「食堂」というテーブルと椅子だけが並んでいた食堂があって食事はそこで取っていました。

このため、晴れているのか、曇っているのかは食堂の窓でわかるような感じでした。

雨が降れば、屋根裏部屋なので雨音がしますので、窓がなくてもわかりました。

昼食は給食センターの給食弁当で、夜食は出前です。

少しでも早く帰りたいということもありましたが、昼は食事をしたら眠りたいということもありましたので外に食べに行く時間が惜しかったというのがあります。

何より、昼休みが40分しかなかったので外に食べにいくことなんて、できませんでした。

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夜食は15時の休憩時間になると、女性事務員の方が夜食の注文を取りに来てくれます。毎日、同じ店からだと飽きてしまうということで1日置きに2つの店をローテーションしていました。とんかつ屋と食堂系の店でしたが、食堂系の方が、正直、あまり美味しくなくて、評判は悪かったのですが、毎日、とんかつ屋というわけにもいきませんので、泣く泣く注文していました。

17時過ぎに夜食を食べますが、22時を過ぎる頃には、お腹が空いてくることもあります。そんな時のために、会社がカップ麺を常備していて、22時以降も残業する場合にはそれを自由に食べて良いということになっていました。

これも今だと所得税的には問題になりそうですね。

今、考えると、1日4食も食べていた時もあり、その内、3食が会社で食べていたのかと思うと仕事漬けの毎日だったことを改めて実感しました。

新社屋に引越し

今だと、ブラック企業だと言われそうですが、残業代がカットされるとか、残業の申告をしてはいけないということは全くありませんでした。

そんな生活が半年くらい続いた頃に、新社屋が完成して屋根裏部屋から引っ越すことになりました。

場所は自宅から20Km位離れた場所になりました。それまでは、車で5分の距離でした。

毎日、5分の通勤時間が、30分に変わりました。

それと引き換えに広くて沢山の窓がある綺麗で明るい職場に変わりました。

広さは、10倍以上でそこに3名だけという感じなので、今までは職場に置くことができなかった、Z80の開発ツールだとか、電子部品のパーツボックスといったものが、これでもか!というくらいに配置することができ、一気に快適な職場に変わったのです。

新しい職場に引っ越してからも暫くは、深夜12時までどころか朝5時まで仕事をして、帰って、朝7時にはまた家を出るという更に過酷な状態になりました。

それでも、窓があるというだけで、気持ち的にはかなり楽でした。

最初に思い出すのは、残業100時間の頃

その後、暫くすると僕も仕事を覚えてきたので、応援業務から担当業務に変わりました。その結果、実質、2人で行っていた業務が3人で消化できるようになってきたこともあり、22時とか23時、21時に帰れることも出てきました。納期のある仕事なので、勿論、徹夜することもありましたが、速く帰れることが増えてきたので精神的にも肉体的にも、かなり楽になってきました。(残業時間はそれでも100時間を超えていました)

その結果、出来たばかりの社屋で、まだ設備なども入っていなかったこともあり、広いスペースが各所にありましたので、昼休みに寝るということも減ってきて、バドミントンなどを行う余裕が出てきました。

「しごとの思い出」と言われて、最初に思い出すのは、この頃ですね。

正直、連日深夜の残業は、きつかったのですが、何故か、辛いことよりも達成感の方が強かったので、懐かしい思い出になっています。

不思議と会社に対して悪いイメージも持っていませんでした。

残業200時間を超えていた人もいました

周囲には休日も出勤して深夜までという人もいて、その方は残業時間でいうと200時間を超えていました。1ヵ月、休みなしで毎日6時間残業しても約180時間なので、いかに凄かったかがわかります。

僕でも一番長くて、180時間がマックスだったので、200時間越えの残業というのは当時も今も伝説です。

今は、毎月100時間どころか、80時間でも過労死するレベルだと言われています。

残業が100時間を超える生活が10年間は続いたと思います。

それでも僕は今も元気にやっています。

僕だけではありません。同じ会社に勤務していた沢山の人が100時間を超える残業をしていましたが、亡くなった人は一人もいません。

今は、残業をほとんどすることはなくなりましたが、100時間を超える残業をしていた時の方が精神的には楽だったので、会社をブラックだと思うこともありませんでした。

ブラックなのは昔より今

むしろ、ブラックだと感じるようになったのは、ここ10年位です。

労基署の労働時間の監視が厳しくなったり、法律での残業規制が厳しくなると、会社とすると労基署からの指導等は受けたくありませんので、残業時間を減らせと言うわけです。しかし、人は簡単には増やせませんし、増やしたとしても直ぐに戦力にはなりません。教えている時間さえないという場合もあります。このため簡単に仕事量は減らせませんし、働き方改革だと業務改善を考えている余裕すらありません。

その結果、残業時間は短くできなくなります。

会社からは残業時間を減らせと言われるので仕方なく、残業時間を短く申告することになります。毎月、仮に80時間残業をしていたとして、半分にしろと言われたら、1日4時間のところを2時間で申告して一旦、退勤処理を行い、その後、改めて仕事をすることになります。

国や労基署にすれば労働者の健康を考えて、勤務時間を減らせと法整備や指導してくれているのでしょうが、結果的には、今の方がキツイと思います。

同じ時間働いて、賃金は半分になるのですから。

上司は、そんなことは、分かっていますが、正直に申告させると、今度は自分が更に上から責められるので見て見ぬふりをすることになります。

今は退勤の処理を行って、職場に戻っても、その後、社内の各所に出入りする時に社員証が必要になるので記録されてしまいます。その結果、社内にいることが証拠として残りますが、退勤の記録だけを見せれば記録上は問題なしということになります。

100時間を超える残業をしていた頃には、不正行為をする必要がありませんでしたし、会社に対する不満も今よりはありませんでした。

80時間残業をしているのに、半分しか申告できない方が労働者にとっては精神的にキツイと思います。

会社をブラックにしたのは国と労基署

以上のようなことから、会社をブラックにしたのは国と労基署だと思うんですね。残業時間の規制を強要するから、会社はその通りの指示を社員に出します。

会社は不正を命じているわけではなく、言われたことをそのまま伝えているだけです。その結果、国で決められたことだからと、仕方なく不正行為を選択することになります。残業80時間で過労死すると騒ぐので、そうなんだと新人はそのまま受け取ります。そして、残業が80時間を超えると、過労死するかも・・・と思ってしまうんです。

仕事より家庭を重視する欧米は日本は働き過ぎだと言います。

でも、日本は家庭より仕事を重視してきたから今の日本があるんです。

何でも欧米が正しいのか?

何でも欧米のいう事が正しいと思う風潮に僕は疑問を感じます。

昨日、ニュースを見ていると、マイバックが新型コロナウイルスではよくないと米国で騒がれているいう報道がありました。

マイバックは洗わずに使うから菌が残りやすいというのです。

レジ袋を一方的に環境に悪いと言ってきておいて、ウイルス感染の危険性があるとなると危険物扱いです。

米国ではマイバックに店員さんが入れてくれるので、マイバックから店員さんに感染する可能性もあるのでしょうが、日本のスーパーは基本的に精算が終わったらレジ後ろにあるテーブルでマイバックに自分で入れています。それだけのことで大きく騒ぐことなんてないんです。

そもそも、欧米には差別の文化というかDNAが根付いていると思います。

有色人種を差別する体質、そして今年だとアジアでコロナ感染が拡がると人間をウイルス扱いしてくれました。

そういう意味で、僕は欧米人は信用できない部分があると思っています。

このため、労働時間についても欧米は家庭重視かもしれませんが、日本のサラリーマンは仕事を重視してきたんです。それは日本のためというより、責任感という面が強かったのだと思います。

自分さえよければ良い人が増えた

自分がやらないと迷惑がかかる。迷惑をかけたくないから頑張る。

僕の残業時間が多かった頃もそんな人ばかりだったと思います。

これが日本の文化だったのですが、最近は就職する時の条件が「残業がない」「福利厚生が充実している」「人間関係が良い」という仕事とは関係のない点ばかりが条件になっています。

この会社に入って、何がしたいではなく、いかに楽をするか?という点ばかりに注目しているんですね。自分さえよければ、それで良いって考え方です。

こんな状態なので、新型コロナウイルスの感染を抑制するために不要不急の外出を控えてくださいと言われても、お構いなしで出かけてしまう。

県知事という立場の人でも、ウイルス感染より経済を重視するような発言をしてしまう。

自分さえよければという人が増えたから、パワハラだのセクハラや、あおり運転だ、高齢者が運転する自動車による事故といったことが増えるのです。自転車を乗る時に保険に加入しろなんてことも、昔では考えられなかったことです。それ位、人のことを考えずに自転車に乗る人が増えたということです。

マスクやトイレットペーパーの買い占めをしている人もそうです。

自分さえよければという気持ちから買いに走るわけです。

更に酷い人はそれを高値で売却していたのです。

今回、「しごとの思い出」ということで、改めて考えたり思い出したりすると、今が必ずしも昔より良いということではないことに気が付きました。

何でも欧米の真似をするのではなく、日本人に合った形に変える、場合によっては拒否するということも必要だと思いました。 

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