他愛もない話について
- 気楽に書きますので、気楽に読んでください。
- あまり役に立たない内容になるかと思います。
- 特に何かを決めて書いているわけではなく、書いている内に、横道にそれたりするかもしれないので、最後はどんな話になっているのかわかりません。
- 僕の主観や記憶に依存する内容が多くなるので、間違っている内容もあると思います。(書いている内容について基本、裏付けを取ったりしません)
- 上図のルーレットで「0以外」に落ちれば、1億円をあげます。
しかし、0に落ちたら、37億円を頂きます。
こんなことを言われたら・・・
0に落ちる確率は37分の1、それ以外は、37分の36。
この条件なら、この勝負、受けた!と言いたくなる。
しかし、万が一、0に落ちたら・・・と考えると37億円の恐怖。
もしかして、0が出やすいルーレットになっているのでは?とか、色々とネガティブなことを考えてしまう。
そういう不正がなかったとしても、1回目に0に落ちないという保証はない。
37分の1の出来事が1回目に起きることは十分あり得るのだから。
挑戦すれば、1億円をゲットするか、37億円を失うかの天国と地獄。
挑戦しなければ、0円で現状維持。
これだけ有利な条件であっても正直、悩んでしまう。
では、条件を変えて・・・
- 上図のルーレットで「0以外」に落ちれば、1万円をあげます。
しかし、0に落ちたら、37万円を頂きます。
これならどうだろ?
37億円と違って、37万円なら払えないことはないし、条件は圧倒的に有利なので、やってみようかという気になる。
ここまで、提案された側の視点で考えてきたが、提案する側だったら、どうなんだろ?
37回廻して1回も0が出ないこともある。何回も出ることもあるだろう。
しかし、37億円を支払える人が、どれだけいるか?というと多くはない。
0に落ちた場合に、本当に支払ってもらえるのか?という事も心配しないといけない。
37万円であれば、挑戦してもらう前に現金を用意してもらうことで支払いの心配はなくなる。
結局、提案する側の場合でも、同じ結果になる。
0に落ちた場合に「37億円支払う」ということが、障害になるってことか。
つまり、高い確率で大きな利益が得られることがわかっているのに、多少でも大きな損失の可能性があると思うと挑戦しようと思わない。
以下、自分の中でのやり取り
こういうことなんだよなぁ~
>しかし、それが悪いのか?
だったら1万円のために37万円を失ってもいいのか?
>1万円がそんなに欲しいのか?
うーん・・・
>じゃあ、1億円でも同じか?
悩む(笑)
>そうだろ!
失うということに、執着しているってことなんだろう。
>37万円では、なく37円だったら?
それくらいなら、挑戦する。>では、370円なら?
まだ、挑戦する。>3700円なら?
多分、挑戦しない(笑)
執着が始まるのは、3700円ってことか・・・
>なら3700円に執着がなくなるにはどうすればいい?
収入を増やす!>では、今の10倍の収入だったら?
執着しない!(笑)>なら、5倍なら?
執着しない>2倍は?
・・・
収入に応じて執着のレベルが変わることはわかった。
でも、そういうことではない。
今のは、沢山あれば執着がなくなるというだけで、減ってくれば復活する。
現在の収入とは関係なく、執着を無くすには?
考えてみれば、不要なものへの執着はない。
いや、これも違う。
不要なものに執着がある方が問題だ(笑)
必要で、沢山持っていなくても執着を持たないようにする・・・
無理だ(笑)
世の中には、借金をすることに免疫ができている人がいる。
失敗しても何とかなるだろうという気がしているのだろうか?
それとも、失敗することは考えていないのだろうか?
いや、どちらも違うような気がする。
自分がやりたいことだけを真っすぐに見ていて、関係のないことには意識は向いていないのだろう。今、考えても仕方ないことは考えられない。
考えてみれば、そういうことは確かに自分にもあるような気がする。
誰かに何かを頼まれた時などは、そのことに集中し他のことは考えていない。時間に追われている時も、普段は気にかけるのようなことにさえ目を向けず行動する。
執着とか何とかではなく、どれだけ実現したいか?という想いというか気持ちが重要ってことか。それは、誰かのためにといったことだけではなく、自分のため、金儲けのためということであっても同じなのだろう。
これは「覚悟」という言葉が一番、ピッタリくる。
そして去年、参加したワークショップの内容で聞いた一つの言葉を思い出した。
それは「勇気づけ」だ。
勇気づけとは、相手のことを評価せず、自分の素直な気持ちを伝えることです。
「自分の素直な気持ち」というのは、相手に伝える時ばかりでは無く自分を喚起するする場合にも必要なことなんだ。
1億円や1万円が当たるということでは、自分を喚起することができないだけの話で、外れたら、37億円とか37万円などと考えてしまう時点で、自分にとってはどうでもよいことなんだ。
本当に自分にとって重要なことであれば、執着とかなんとかではなく余計なことは考えずに真っすぐに目的に向かうはず。
この答えに達したことで、スッキリした。