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元農水事務次官 熊澤英昭氏の保釈について

熊澤氏は、殺人の罪で2019年12月16日に懲役6年の実刑判決を言い渡されました。
以下はその時の内容の一部です。

  • 強固な殺意に基づく危険な犯行で、息子と同居してわずか1週間ほどで殺害を実行した経緯は、短絡的な面がある。
    しかし長年にわたり、安定した関係を築く努力をしてきた中で、同居翌日から息子の暴力で恐怖を感じるなどの事情があったことは否定できない。

判決後、被告の弁護士は保釈請求を行いましたが、東京地方裁判所は却下。その後、東京高等裁判所に抗告し、東京高等裁判所の青柳勤裁判長が2019年12月20日、保釈を認める決定を出しました。

最初は、献身的に尽くしていた父母に対しての配慮だと思っていました。
これまで、息子の家庭内暴力に悩まされてきた夫婦に年末年始は、拘置所の外でゆっくりさせてあげたい。そんなことから殺人罪実刑判決に関わらず保釈ということになったのだと。

しかし、保釈された時の映像を見て、違和感を感じました。

以下は、その時の映像です。

参照元

タクシーに乗った後に、車の窓を半分程度開けて、左手を軽く上げて挨拶、更にその後、窓を閉めた後、熊澤氏は笑顔になっていました。その姿は、上のものが下のものに対して見送りご苦労といった姿に見えました。

殺人罪実刑判決を受けた者の姿には見えなかったのです。

これで、見方が変わりました。現段階で控訴していないということですが、これも保釈を求めるなら、現時点で控訴はしません。控訴するということは罪を認めていないと解釈され保釈できなくなります。そして控訴するとも言っていませんが、控訴しないとも言っていません。
保釈のために「今は」控訴しないのだと確信しました。

普通に考えれば、殺人罪実刑判決の者を保釈することはできないはずです。
殺人のあと、自ら通報し、罪も認めている。高齢で殺人の動機も息子の家庭内暴力に悩まされた、近所の小学生に息子が危害を加える前に止めようとして殺害に至ったということから再犯の可能性もないという判断もできることから保釈しても問題ないという判断もできなくはありませんが、それは証言が全て事実だった場合です。

家庭内で起きた事、交わされた会話についての証言は父と母だけしか知り得ない内容なので二人が口裏を合わせれば死人に口なしです。

タクシーに乗る時の映像だけで決めつけることもできないので、熊澤氏がどんな人なのか、調べてみることにしました。

父母、弟1人、妹3人の7人家族でした。

父は歯学博士で、岐阜から上京し、東京台東区で歯科クリニックを開設。熊澤氏は上京した頃から剣道を習い始め、週1~2回上野警察署に通っていました。その後、弟は大学の付属病院勤務、妹も全員が医療関係と結婚と絵に描いたようなエリート家族となりました。熊澤家は毎年、近所の友人たちを招いて新宿のホテルで新年会・忘年会を開いていました。

1943年:
 岐阜県可児市で長男として誕生

1953年3月:
 一家は上京し父は台東区に歯科クリニックを開設。
1967年:
 東京大学法学部を卒業し農林省に入省

1975年3月:
 英一郎氏生まれる。(父の名である英昭より英の文字をとった)

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英一郎氏は、母親が教育熱心だったこともあり、偏差値70を超え、東大合格者を多数輩出する都内随一の中高一貫の中学に入学。

この頃から、イジメなどで友達も1人もいない、部活動にも参加しないという状況でゲームを始めたようです。成績も悪くなり、結局、進学校であったにも関わらず大学には行きませんでした。その後、代々木アニメーション学院に通ったりもしたようですが、結局、大学、大学院へと進みました。大学院に通っていた頃に、熊澤氏は農水省のトップである事務次官に就任しました。

熊澤氏が就任中にBSE牛海綿状脳症)の問題が起きました。輸入牛肉の安全・安心を巡る大混乱が起きました。吉野家が牛丼の提供を中止せざる得なくなった事件と言った方が良いかもしれません。
その頃は小泉純一郎内閣で、当時のことを知る、小泉総理の秘書だった、飯島勲が次のように語っています。

責任を一身に背負ってもらうため、内閣として次官更迭の体裁を取ったのよ。

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つまり、内閣の指示により責任を取らされたということですね。この時は退職金(約9000万円)を満額受け取り叩かれていました。その後は、日本食肉協議会の非常勤嘱託となりましたが、国会で追及され2週間で辞任となりました。そして農協共済総合研究所の理事長や、全国米穀取引・価格形成センターの会長という“軽量級”のポストを渡り歩いたのですが、内閣としては行政手腕は高く評価されていたことや、責任を取らせた負い目もあったのでしょう。小泉内閣は熊澤氏を駐チェコ大使に任命します。この時の年収が2000万円、大使は2008年まででその時の退職金が約8000万円だということです。2018年には、介護していた母親が亡くなりました。その直後に息子の英一郎氏から実家に戻りたいとの連絡があったようです。

BSE問題での対応不備により日本の信頼を無くしたのに満額の退職金をもらったと叩かれていた熊澤氏なので、周囲の評判も悪いと思っていたのですが、同期からは「真面目な人間」、近所の方にも自ら挨拶をしたり、「優しそうな人」と評判は悪くないんですね。


逆に息子は、無職なのに高級住宅街で一人暮らしでゴミ出しで近隣住民とのトラブルが絶えず、高級住宅街には不向きな風貌、ぶっきらぼうな対応、母親を「愚母」と呼び、ネットでは人を小ばかにする感じになっています。そんな英一郎氏にとって父親は自分の虚栄心を満たす自慢の存在だったようです。
無職の英一郎氏が高級住宅街に一人暮らしできていたのは、母親名義の330平米を超える土地にある、2階建て約50平米の木造住宅があったからです。母親の実家は凄い資産家で1999年に土地や家を父から相続しています。他にも相続している関係で、母親は不動産収入だけで80万円を超えています。

英一郎氏は、実家に戻ってからは、家庭内で父母を殴るなどの暴力を振るい、昼間からアダルトビデオを大音量で流して近所から苦情があっても聞く耳を持たず、結局、家の防音工事が入りました。

営業マンがセールスに来たときには、英一郎氏が「もう来るんじゃねえ!」と怒鳴ったり、玄関の扉は開けっぱなしで、外から見える室内はゴミだらけ。彼はよく家の前に座っていて、ツバやゲロを吐いていたそうです。本人がツイッターで以下のようなことを述べています。

  • 私の両親は私の教育を間違えてたな。テストで悪い点取ると玩具やプラモを壊す。これが間違い。私は玩具を壊されない為だけに勉強した。喧嘩で両親に勝てる高1までこの恐怖は続いた。そして性格が螺旋階段のようにねじくれ曲がった私が完成した。

上記が事実だとすれば、両親への恨みは根深いものがあったようです。

英一郎氏は、2010年頃から約6年間、さいたま市内のアパートにも住んでいました。当時、そのアパートのある住民が、たびたび近隣の小学校に「運動会がうるさい」と苦情を入れていた人がいて、それが英一郎氏だったのではないか?ということです。

熊澤氏と息子が、SNSを通じて会話していたというのは、さいたま市に住んでいた頃のことです。熊澤氏は妹の夫が精神科医だということで相談しています。


そして事件は、2019年6月1日に自宅(東京・練馬区)で起きました。

午前中、隣接する小学校で運動会が行われており、英一郎氏は「運動会の音がうるさいんだよ。子供らをぶっ殺すぞ!」と声を荒げました。

午後3時過ぎに熊澤氏は決意し犯行に至ります。

午前中に荒げた息子の発言が、川崎の無差別殺人の犯人とダブったのでしょう。
2019年5月28日に、長期に渡り自宅に引きこもっていた50代男性が川崎で20人を無差別に殺傷するという衝撃的な事件が起きた4日後のことです。 

 

逮捕後、熊澤氏は「長男を刺さなければ、自分が殺されていたと思う」と供述しており、自宅内からは「もう殺すしかない」という走り書きも見つかっています。

妻も、「 息子が恐ろしかった。行くところまで行ってしまった。やむを得なかった」という供述を行っています。

ここまでが事件までの経緯になります。

高級住宅街で生活していた時に、父親と英一郎氏の間で何かあったのでしょう。
そのために、英一郎氏が自由に使えていたお金が使えなくなり、生活に困り実家に戻らざる得なかったのでしょう。

事件のカギは、ここだと思います。しかし、ここまで調べてみても、熊澤氏の真の姿というのが見えてきません。

熊澤氏が周囲の評判通りの人であれば、タクシーでのあの笑顔は絶対にあり得ないのです。現段階では、保釈されたあと、控訴するかどうかで判断するしかなさそうです。

もしも控訴しなければ、評判通りの父だったということになるのでしょう。

 

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