ドラマの場合が多いのですが、現実的じゃないとか、実際にはそんなことはないといった意見をよく聞いたり、見たりします。
ドラマでも、以下のようなテロップを表示する場合もあるはずです。
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
フィクションとは以下のように定義されています。
虚構。英語の原義は「形づくる」こと。一般に事実でないものを事実らしくつくり上げることを意味するが,文学用語としてのフィクションは,架空の出来事を想像的に描いた物語,特に散文で書かれた小説の類を総称する語で,同様に想像的要素の多い詩や劇とは区別するならわしである。また,虚構ではない実際の出来事の物語,すなわち歴史,伝記,ルポルタージュなどは,ノンフィクションと呼ばれて対照的に区別される。
【引用元】
そして、リアリティとは以下のように定義されています。
現実感。真実性。迫真性。レアリテ。「描写にリアリティーがない」
【引用元】
フィクションだと伝えているドラマでリアリティを求めることがそもそも無理があると思うんですよね。リアリティを求めるのであれば、対象はドラマや映画ではなく、ドキュメンタリーという分野に求めるべきだと思います。
僕はドラマや映画に現実は求めていないんですよね。
楽しませてくれるかどうか。つまり、エンターテイメントなんです。
エンターテイメントは以下のように定義されています。
楽しませてくれるもの。普通は芝居,演芸,音楽などの催し物をいうが,文芸用語としては娯楽性の高い読み物,通俗小説という意味で用いる。 1960年代,中間小説雑誌の創刊が相次ぎ,純文学と大衆小説との境界があいまいになるにつれ,この種の小説が大量に書かれるようになった。現在,各社の文庫本の中の多くを占めている。対義語はシーリアス・ノヴェル serious novel (本格小説) 。遠藤周作,北杜夫,筒井康隆などは,明らかにこの2つの系統を書き分けている。
【引用元】
ドラマや映画を見ながら、現実と比較していても楽しくないですよね?現実は忘れて、登場人物の誰かと一体化して見た方が楽しい思います。
現実にはあり得ないような事でも、予想外ということは必ずあります。
日常生活は、現実なので突拍子もない事はできませんが、ドラマや映画は現実ではないので可能です。
ドラマや映画に、あまりにもリアリティを求めて、現実的な話ばかりになってしまったら面白いですか?そんなドラマや映画を見たいと思いますか?
ドラマがベストセラーの小説や漫画をベースになっているのは、リアリティを考える必要がないこともあるのだと思います。原作者が十分に検証しているはずですし、何よりベストセラーだということで既に認知されているのです。ゼロから脚本を考えていると現実に合っているか調査するのに膨大な時間を要しますし、それが認知される保証もありません。
写真と絵で、リアリアリティのある方は?と問えば誰でも写真だと答えるはずです。じゃあリアリティのない絵は必要ないのか?というと絵には見た人の感性で変わってくる写真にはない魅力があります。このため写真ではイメージが固定されがちになりますが、絵だと自分の思い出に重ねやすいので独自の世界が現れてくる利点があります。これはリアリティがないからだと思います。
ドラマや映画も写真のようなものや、絵のようなものがあって良いと思うんですね。
そんなことを言ったって気になるものは仕方ないという意見は当然あるでしょう。
SNSが普及した事で沢山の人の共感を得る事が重要と考える人が増えているように感じます。このため共感を得るための感性に知らない内に変わってきているのだと思います。まずは自分の感じていることをしっかりと見つめることだと思うんですね。悪いところばかり探しているのではないか?良いところに気づいていなのではないか?本当に自分が感じていることなのか?
それでも、わからないという場合には、赤毛のアンのように「いいところ探し」をしてみるというのも方法かもしれませんね。