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嫌われる勇気

ワークショップに参加してきました。

タイトルは、

ブッダアドラー心理学から学ぶ

「対人関係の“問題行動の5段階”と、そこから脱する方法」

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 対人関係に興味があったのでは、アドラーの「嫌われる勇気」が今でもAmazonの「本」のカテゴリーでランキング100位内に入っているのが凄いなと思ったので、本に関するセミナーのようなものがないかと探していたところ見つかったことからです。

「人間の根源的な欲求」とは何ですか?
ワークショップの最初に問われた質問です。

根源的な欲求
 生存の本能である「睡眠」「食欲」といった生理的欲求よりも強いものです。

答えは、「所属感」でした。
「所属感」というのは、

共同体(社会・職場・学校・家族)の中で「私はここにいてもいいんだ」

と思えることです。

では、なぜ、「所属感」が根源的な欲求なのでしょうか?
赤ちゃんは、一人では生きていけませんよね。
両親をはじめ、色んな人が赤ちゃんを保護してあげようとします。
そんな風に育てられた赤ちゃんは、自分は誰かに助けてもらわないといけないと感じます。
生きていくためには人とつながりをもつことが重要だと思うようになります。
その結果、特別な存在であろうとしたり、認められようとします。

そして人とのつながりが絶たれることを恐れ、つながりを持つことへの強い意識が生まれてきます。

これにより「生存の本能」より「所属の本能」のほうが強くなり、「所属感」が人間の根源的な欲求になっていくんですね。


「所属感」が強くなることで、対人関係の問題行動につながります。
対人関係の問題行動は以下の5段階に分かれます。

第一段階:称賛の欲求

第二段階:注目の欲求

第三段階:権力の欲求

第四段階:復讐の欲求

第五段階:無能の欲求

第一段階の「称賛の欲求」です。

人は所属感を得ようとして、いい子を演じようとします。
つまり、褒められたり、認められように行動します。
これを称賛の欲求と言います。
しかし、そんな称賛の欲求は一時的なものであり、終わりがありません。
なぜ一時的なものなのでしょうか?
それは、人の評価は日々変わるからです。

アドラーは次のように語っています。

他者から褒められ、承認されること。
これによって、つかの間の「価値」を実感することはあるでしょう。
しかし、そこで得られる喜びなど、しょせん外部から与えられたものに
すぎません。
他者にねじを巻いてもらわなければ動けない、ぜんまい仕掛けの人形と変わらないのです。

今までと同じでは、褒められたり、認められなくなっていきます。
そうすると、やる気がなくなります。
本人からすると所属感喪失の危機です。
次は、目立ってやろうとして注目されようとします。

 

第二段階の「注目の欲求」です。

これがプラス面に働いていれば良いのですが、「いい子」ではダメだと思ってしまっているので次は「わるい子」を演じて注目されようとします。
第一段階では、賞賛されようとプラス面で注目されようと努力してきましたが、それではダメだとわかると次は、マイナス面で注目させようとします。

わるい子を演じられて良い気分はしませんので、この状態が続けば「無視」されるようになりますよね。
そうすると次の段階です。

 

第三段階の「権力の欲求」です。

戦いや反抗により自らの力を誇示して自分を「力」で認めさせようとします。

徐々に関係が悪化している感じですね。
ここまでくればもう、相手も折れようとはしなくなるでしょうから、
戦いに発展する可能性もあります。
戦いや挑まれたり、反抗されたりして認めてもらうなんてことはまず無理です。
次の段階に進展します。

 

第四段階の「復習の欲求」です。

愛の希求が叶わないと、人は一転して「憎しみ」を求めるようになります。
相手の嫌がることを繰り返すことになります。

ここまで来てしまうと関係の修復は、まず無理でしょうね。
それでも、当然、認めてもらえることなんてできません。
そして最後の段階への進展します。

 

第五段階の「無能の欲求」です。

人生に失望して自分のことが心底嫌いになり、自分には何も解決できないんだと思い込んでしまいます。
そして、自分がいかに無能であるかを、ありとあらゆる手段を使って「証明」しようとします。

 
上記の五段階の欲求は全て「人に認められたい」という承認欲求からです。

承認欲求にとらわれると他者から認めてもらう気持ちが強くなり、知らない間に他者の人生になっていきます。
承認欲求は永遠に満たされることがありませんので、永遠に求めることになります。


では、こうならないようにするにはどうすれば良いのでしょうか?

褒めない

叱らない

え?って感じですよね。
褒めれるようなことをしても、叱られるようなことをしても、結果によって自分の価値は変わらないってことを伝える必要があるんですね。
だからといって、何もしないってことではないんでね。

アドラーは、「勇気づけ」が大切だと言っています。

勇気づけとは、相手のことを評価せず、自分の素直な気持ちを伝えることです。

評価するということは、上下の関係です。
しかし評価しないということは横並びの関係になります。
上下関係にならないような言葉を使う必要があるということです。

ありがとう

嬉しい

助かったよ

例えば、以下の場合で考えてみましょう。

 試験に合格したと連絡を受けた場合

子:試験に合格したよ!

親:試験に合格して嬉しいよ!

 試験に落ちたと連絡を受けた場合

子:試験に落ちた・・・

親:お疲れ様。
  残念だったね。
  今日はゆっくり休もうよ。

 だからといって、「勇気づけ」を行うことで次も適切な行動をしてくれるという期待をしてはいけません。
このような下心があると「勇気づけ」にはなりません。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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