前回、今、「無くなると一番困るもの」ってお題で、書いてみましたが、質問自体に問題があるのでは?という疑問が生じました。
そう考えると、日々問題や課題に取り組むことがありますが、その前に本当に答えが出せるのか?、そもそも取り組む必要があるのかどうかを先に考えないと単に時間と労力を費やすだけで無駄になる可能性があります。
例えば、先日、卓球で審判の誤審があり試合の流れが変わって負けてしまったことから卓球にもビデオ判定を取り入れるべきだと言われています。
これは何が問題だったのでしょうか?
審判が誤審をしても確認する方法がないってことなのでしょうね。
しかし、実際には日本選手のペースで展開されていた試合の流れが誤審で変わり金メダルが取れなかった事にあるのではないでしょうか?
仮に審判が誤審を認めたとしても日本選手が勝っていたんなんて保証はありませんよね。
そもそも誤判定だけで流れが変わり負けてしまうことが問題なような気がします。
本当に審判の誤審を確認できる手段が無いことが問題なら何故、今頃になって騒ぐのでしょうか?結局は勝てなかった理由を誤審にしたいだけなので、真の問題は日本選手が勝てなかったことになるはずです。
このため、誤審について色々考えることで誤審は無くなっていくかもしれませんが日本選手が勝てるようになるかと言われると疑問です。
日本が東京五輪で金メダルを取りたいのであれば誤審のビデオを見るのではなく試合のビデオを見て自分達に不足している部分を見つけ改善していくべきです。
問題、課題って余計な背景が入り込んで方向を変えてしまうことがあります。北に向かいたいのに南側に向かう問題や課題に取り組んでも北側には向かいませんよね。答えを出そうとする前に、問題、課題に問題がないかを十分に検討する必要があるということになりますね。